クラクションがならないくるまは、みんなとちがうことが恥ずかしくて内緒にしていた。友だちは心配して、くるまにラッパをプレゼント。うれしくて鳴らしていたら、クラクションがならないことがばれ、まわりから笑われてしまう。くるまは逃げ出し、友だちと遠くはなれた知らない街へ。そこは、ラッパをならすくるまばかりだったが……。みんなとちがっていても、わかってくれる友だちは必ずいる、と気づかせてくれる絵本。
車に何かを象徴させているのだと深読みすると、複雑に考えさせられる絵本です。
車社会の中にクラクションの鳴らない車がありました。
ある意味欠陥車だと思いますし、他の車たちから排斥されても仕方がないようにも思います。
でも、クラクションが鳴らないことを個性だと考えたら、意味合いはガラリと変わっていきます。
クラクションの鳴らない車に寄り添ってくれる車が現れました。
その車は、ラッパをプレゼントしてくれました。
これで立派に車の仲間入りのはずでした。
でも、ラッパを付けた姿は、他の車から馬鹿にされます。
ここで話しの転換が起きました。
自分たちの暮らせる場所を探して旅立った車は、ラッパを付けて走る社会を見つけるのです。
そこでは、ラッパを付けないでもクラクションの鳴らせる車が異端者扱いされていました。
その車の気持ちが解る青い車は、一緒に旅してきた赤い車と共に、3人で友だちになるのです。
車に名前をつけず、絵で識別化させているところにも、現実社会とのすり合わせを感じました。
違いがあっても、同じ車なのだと言っているように思います。 (ヒラP21さん 70代以上・その他の方 )
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