日本の始まりの地はどこかといえば、天孫降臨の地である高千穂と答えて良いだろう。とはいえ、高千穂の名がつく地域は二ヶ所ある。どちらが本当の高千穂なのかと随分前から議論されてきたようだ。日本が倭國といわれた時代、熊襲といわれた人たちと対立していた記録が、いくつも残されている。熊襲の国である襲國があった地域には7世紀中頃に日向國が成立していて、日向國の範囲は現在の宮崎県と鹿児島県の地域だったようだ。二ヶ所の高千穂のうち、霧島の高千穂峰は成立当初の日向國の中央部にあり、高千穂町の高千穂峡は九州全体の中央部にあるので、どちらも重要な起点だったはず。そもそも天孫であるニニギノミコトは、なぜ日本列島に来たのか。倭國と襲國は、なぜ対立したのか。その答えを導き出す可能性を、中国大陸の楚國文化の中で見つけることができた。世界有数の金山である菱刈鉱山と天孫降臨の繋がりと共に、中國紀行CKRM的視点で迫っていく。
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