ある日突然牛になってしまったお父さん。
ドタバタな展開ですが、読んでいて笑いにならないお話に、だんだん自分の身を考えさせられてしまいました。
どうしてお父さんは牛になったのでしょう。
牛になったから、厄介者にされてしまったのですが、その前にお父さんは家族からは孤独な存在であり、粗大ゴミ、大黒柱ながら余計者になってしまっていたのです。
お父さんのシモの世話をする。
これが痴呆症や介護生活のデフォルメであったらブラック過ぎます。
一方、手に余る存在になって、口を縛られ物置に押し込められたお父さんを、田舎から訪ねてきたおばあさんは牛が我が子であることにすぐさま気づきます。
親子の姿がそこに現われます。
それが引き金で、家族たちはお父さんの存在を再認識することになります。
お父さんってこんなことしていたんだ。
お父さんはこんなことを考えていたんだろうか…。
この辺りから私は、涙ぐんでしまったのです。
自分が牛になってしまったように思いました。
哀しいことにお父さんは、牛になったまま物語は終わります。
元に戻ることのない存在。
それが現実かもしれません。
家族は私をどのように考えているのだろう。
お父さんは、お父さんだからこの物語をこのように深読みするのでした。