情に厚く、肝っ玉のでかい【おたまさん】こと、たまこさん。
みんなに信頼されて、頼りにされている様子が伝わってきます。
こういう頼もしい女性って、憧れるなぁ♪
関西弁が使われていることで、臨場感いっぱいです。
おたまさんの作った【おかいさん(=おかゆさん)】もまた
みんなに愛されていたのが よく分かります。
お腹を空かせた人を快く家に招きいれて おかゆを食べさせ、
近所でケンカがあると聞けば、おかゆを持って駆けつける。
美味しいおかゆを食べて満足したら、怒ってたことなんか
すっかり忘れちゃいますよね♪
机の上には昔ながらの名作や、ビー玉やメンコが置いてあったり、
長屋の様子や 人々の服装から、戦後や昭和の雰囲気が伝わります。
物語のあとには【資料編】として、
当時のおたまさんが住んでいた地域の事情や
戦後の貧しい生活ぶりが写真付きで掲載されています。
文中に『さあて たのもしの金 集めに行ったろ。』とあり、
「“たのもし”って何だろう?」と疑問に思っていたのですが
昔は【頼母子(たのもし)】と呼ばれる、
庶民が お互いに助け合う銀行のようなシステムがあったのだそうです。
おたまさんは人々の信頼が厚かったので、
頼母子の【親】を引き受けていらっしゃったのだとか。
兄弟が多くて貧しかった おたまさんの実家。
おたまさんは5歳の時から、マッチ工場に住みこみで働いていたそうです。
欧米では すでに禁止されていた「黄燐マッチ」を製造しており、
黄燐から出る“リン酸”を吸うと、アゴや鼻の骨がボロボロになるそうで…。
おたまさんの鼻も、骨が溶けてぺっちゃんこだったと読んで、
胸が締めつけられる思いがしました。
戦後の生きるか死ぬかの厳しい生活状況では仕方なかったのでしょうか。
物質的にも食糧的にも恵まれすぎて、平和ボケの感すらある現代。
戦後の生活ぶりを知って、自分の生活を見直す必要があると思いました。
娘たちにも、自分たちの ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんが生きた時代を知って
なにかを感じ取って欲しいと思います。