この作品を最後まで読んで、ルビーの親が登場していないことに気づきました。
なぜ、親が気になったかというと、自己肯定できない子はその生育歴に何らかの関係があると思うからです。
さて、ここまで病が重くなってしまうとなかなか難しいと思いましたが、ドットおばさんとの出会いで、ルビーは変わっていきます。
親じゃないんですね。(いじめについて子どもは親に語れないようです)
いじめっ子ができる過程を語るドットおばさんの言葉に納得。
人間とは、なんて弱いんでしょう。
自身に自信のない弱者の残酷な行為。
愚かなことにその行為で、他者を壊してしまうことを知らないのです。
もうひとつ残念だったのは、ルビーの担任の先生の様子。
ルビーの内面が崩壊しかけていることに気づけていないように思います。
なにげない一言で、子どもを傷つけ追い込んでしまっていることがたくさんあるのだと、改めて反省しました。