子どもの頃、死ぬことが怖くて仕方なった。
交通事故で近所の子が亡くなった時も、高校の同級生が亡くなった時も、悲しくて怖くて仕方なかった。
そして、30を過ぎた今でも、やはり死ぬのは怖い。
しかし反面、年を重ねるうちに、不思議とその恐怖が小さくなってきたように感じる。
もちろん子どもたちもまだ小さいし、現世に未練はたっぷりあるから、まだまだ元気でいたい。
けれども一方で、「今、死んだら、それも運命かな」と、自分の死と向き合えるようになってきた部分もある。
ゾウは長い人生で、親や友達など、たくさんの愛する者たちを見送ってきただろう。もしかすると、ゾウも最初はネズミのように死を恐れ、誰かの足にすがりついたかもしれない。
しかし、その中でゾウも「死は恐れる物ではない。自然な事だ」と少しずつ向き合えるようになったのだ。
だから、「いっちゃいやだ」と恐れるネズミに何も言わなかった。諭しも怒りもせず、ただ普段通り楽しく過ごし、ネズミの成長を待ったのだ。
ネズミが吊り橋の修理ができたと告げると、ゾウは「きみが、きっと手だすけしてくれると思っていたよ」と言った。
ここに至るまで長い月日が流れ、ゾウは目が見えなくなり、物忘れするようになり、せきが出たりするようになった。口にはしないけれど、きっと体はボロボロだったに違いない。
それでも何も言わず、じっと待っていられたのは、ゾウがネズミを心から信じていたからだろう。
その揺るぎない信頼に、ネズミは見事に応えたのだ。
何れ、ネズミも「ネズミの国」に旅立つときがくるだろう。その時には、きっとネズミを愛する誰かが、旅立ちを見送ってくれるに違いない。そうやって、命はつながれていくのだ。