●僕は絵本の枠も知っているし、絵本の枠を外したところも知っている。もっとこういう本があるべきなんじゃない?(荒井良二)
川本:龍は本当に色々考えたんですよ。龍がどうしたら『日本昔話』から離れるかと思って(笑)。でも、“まあ、いっか”と思って書いていたらなんかうまくいって。そういうことってありますよね。やってみたらそうなったとか、思ってたものになったとか。音楽のときもそうなんですけど、考えていてもわからないからとりあえずやってみたら“そうなったの!?”って、出来たものなんですよ。最近、私はこの質問をよくしている気がするんですけど、荒井さんの絵本とか絵を描く原動力って何なんですか?
荒井:そもそも絵を描くのが好きだったから絵本に近づいたっていうひとつの理由があって、でも絵を描くというよりはそもそも色を塗ったり線を引いたりするっていうのが好きだった。だから絵以前のことっていうのがものすごく大事で、それが原動力というか源なんだろうと。“こんな絵を描きたい”っていうのはさらさらないんですよ。はっきり言って絵本じゃなくてもいいもん。絵本以前のことを考えると本というかたちに閉じ込めなくても、展覧会とか外でワークショップをやるとか。絵とか美術とかアートっていう約束ごとを真ん中に置いて、ある遊びをするわけよ。二時間なら二時間、三時間なら三時間っていう時間を決めてルールに従って遊んで、どんなふうになるか、どんなふうに考えるかっていうことをやっているんだけど。
川本:昔からそういうことが好きだったんですか?
荒井:うん、好きだった。
川本:普段は学校の勉強とかがあって、それだけでいっぱいいっぱいになってしまうと思うんですけど、そういうふうな遊びみたいなものをやっていたんですか?
荒井:いや、若いときは今みたいにならなかったよ。もっとガチガチになってた。
川本:歌も歌ってらっしゃったそうですね。
荒井:歌も別に歌手になりたいとか、プロのミュージシャンになりたいとかではまったくなくて、“絵を描く以前”の中に歌を歌うっていうことも僕の中に入っていたわけよ。だからプロのミュージシャンの人から見ると頭にくるだろうと思うけど、即興性ということだったんだよね。だってそれは絵にもつながるから。
川本:歌を歌うことと絵を描くことは同じなわけですね。
荒井:そう、同じベースだと思う。歌を歌うってなると、日本人だったらたいがい日本語で歌うわけだけど、そうなるとまた言葉の問題が出てきたりして“言葉ってやっかいだなー”と思って。“仕切るな、世界を!”って(笑)。そうして構築していくと、ある小さな世界ができるんだけど、“俺の世界はこんなに小さくない!”って思ったり。だから、憎むっていうわけではないですけど、言葉って非常に面倒なものじゃないですか。僕たちって言葉をあやつっているようであやつられているから“俺は言葉には騙されないぞ!”って(笑)。僕は自分も信じていないんですよ。
川本:絵本を作るにあたって、もともと話を書いていたものがこちらなんです(と、原本を見せる)。
荒井:こういう書き方、好きよ。僕は白い紙にだーって書くだけなんだけど。おもしろい。これは絵まで付いてる。絵は描かないんですか?
川本:もともとは描いていたんですよ。“とうめいの龍”は何なのかっていうのを伝えるために描いていて。もし荒井さんだったら、とうめいの龍って聞いてどんな絵を思い浮かべますか? 絵を見ていただいてから言うのもあれなんですが。
荒井:僕は何を見ても全然大丈夫だよ。揺るがないから。
川本:さすが! 一応どんな質感の龍なのかっていうのは設定もあるんですよ。白っぽいグミに砂糖とかがまぶしてあるような感じっていう。
荒井:半透明でもないけどなんというかそういう感じね。『とうめいの龍』に出てくる龍はまつげがよかった。今回の川本さんの絵本、おもしろかったですよ。僕 は絵本の枠も知っているし、絵本の枠を外したところも知っているし、どんなものを読んでも“これは絵本じゃないな”なんて思ったりしないし。でも、これはおもしろかったし、もっとこういう本があるべきなんじゃない? みんな絵本という尺度で見るから当てはまらなくなっちゃって。だって本の自由さがなくなっちゃってるじゃないかと思って。絵本であろうが何であろうがいいんじゃないか?と思って。みんなきっと何かと比較しちゃうんだよ。かこさとしさんとか『ぐりとぐら』とか。でもそうじゃないんだっていう。僕が作ったからたまたまこういうふうになるとか、川本さんが作ったらこういうふうになるとか。僕はもっと自信を持っていいと思うよ。
川本:うれしいですねー。