太平洋戦争の敗戦後、多くの人々が「戦争犯罪人」として巣鴨プリズンに収容された。同所で2代目教誨師となった田嶋隆純は、BC級戦犯死刑囚の苦悩に寄り添い、助命嘆願運動に身命を賭し、「巣鴨の父」と仰がれる。
占領期日本の絶対的な統治者・GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に抗して戦犯者の救済に奔走した田嶋は、若き日にはチベット学の大家・河口慧海に師事し、パリ大学へ留学して真言密教をフランスに伝えた先駆者でもある。「ありがたい、すまない、きのどく」を常日頃信条として利他行を実践した僧侶の生涯の軌跡を描く。
私家版評伝の増補改訂版となる本書には、田嶋自身による巣鴨教誨師時代の回想録、監修者・山折哲雄氏(宗教学者)の「BC級戦犯助命に奔走した「巣鴨の父」の生涯」などの論稿も収録する。
元戦犯死刑囚は、田嶋について次のように記す。「先生は死刑囚に仏の道を説くよりも、その実践をさとされた。安心を与えるよりも生命を助けようと懸命であった。先生の着任いらい二十九人が減刑の恩恵にあずかったが、先生が救済されたのはこの二十九人だけではなく、不運にして処刑された十六人も立派に救っておられた。なぜなら、その人たちも初対面のときから、先生の涙に大慈悲を感じ、その後の御尽力に『あれだけ手を尽くしていただければ、助からなくても本望だ』と言いあっていたからである」(本文・冬至堅太郎「田嶋先生と死刑囚」より)
「忘れられた日本人の貴重な人生の全貌を多くの方々に知っていただきたい」(山折哲雄氏)
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