【担当編集ノート】 上野誠さんといえば、令和の御代の万葉研究を大きくリードする人です。しかし、研究者としてではなく、個人としての上野さんは兄上亡きあとに故郷福岡の一族のお墓をしまい、老いた母上を奈良に呼び寄せて7年のあいだ介護し、見送った家長であり息子でありました。 上野さんの研究において重要かつ本質をなすのは、「宴」についてと「挽歌」についてのそれであると私は考えています。私生活と研究は別のものではありますが、それでも「私」のない研究はありえないと、編集者としての私は考えており、本書はその意味において企画されたものであります。 「はじめに」において上野さんは次のように語ります。 「これから私が語ろうとすることは、個人的体験記でもなければ、民俗誌でもない。評論でもないし、ましていわんや小説でもない。ひとりの古典学徒が体験した、死をめぐる儀礼や墓にたいする省察である。/いや、省察と呼ぶのもおこがましい。私の祖父が死んだ一九七三(昭和四十八)年夏から、母が死んだ二〇一六(平成二十八)年冬の四十三年間の、死と墓をめぐる私自身の体験を、心性の歴史として語ってみたいと思うのである。 (中略)/ 四十三年間という時が歴史になるのか。個人の経験や思いなどを、いったいどうやって検証するのか。それがいったいなにに役立つのかなどという批判は、すでに予想されるところではあるけれども、私はあえて、この書を世に問いたい、と思う」 そして「あとがき」ではこう言います。「七年間母親を介護し、家じまいをした私は、家族とその歴史に思いを馳せた。そんなときに執筆を思い立ったのが、この本である。/己が経験した家族の死を、いまの自分の感覚で描いてみたい。己を始発点とする民俗誌、家族小史のようなものを書いてみたい。それこそ、実感できる歴史なのではないか。なにも、偉人の伝記をつなぐことだけが歴史でもなかろう、との思いが、ペンを走らせた」 いま、墓じまいや「終活」が多くの人の問題となっています。万葉の時代から現代まで、人は誰かを看取り、そして送り、「いずれはわれも」と感じてきました。軽妙な筆ながらその長い営みに思いを馳せた深いエッセイをお届けします。
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