「徐福」この名を聞いて「不老不死の薬を探した人?」とピンとくる方は多いだろう。徐福は始皇帝の命により、遠く東の国にあるという不老不死の霊薬を探しに出た「方士」である。徐福一行は、蓬莱山と呼ばれた富士山の麓に国をつくったという伝承がある。一説によると、日本に来て「田」氏を名乗ったというが、この理由は徐福出自の国である「斉国」(田斉)、当時の王の姓が田というのが由来と思われる。その徐福がたどり着いたという富士山一帯には、かつて「甲斐国」があった。戦国時代、甲斐国の武田信玄といえば風林火山、いわゆる「孫子四如の旗」が有名だが、孫子は始皇帝より前、春秋時代の人である。本名は孫「武」であり、出身が斉国の大夫で、田氏であるとも伝わる。徐福一行の末裔が「田」を名乗ったという伝承と、「武田」氏をはじめとする名族の興りには繋がりがあるのか? 中國紀行CKRM的視点で、この謎に迫っていこう。
|