鹿島組御嶽発電所で働かされた中国人の証言──「日本での苦しみは飢え、寒さ、暴力だった。たくさんの人が死んだ。まず目が見えなくなり、下痢をして、それから死んだ」 80年前のアジア太平洋戦争末期、中国大陸・東南アジア・太平洋などの広大な戦域に兵士を送りだした日本は深刻な労働力不足に陥った。その穴埋めに使役するために連れてこられたのが、大日本帝国の植民地下にある朝鮮人、日本軍の占領下にあった中国人、日本軍の捕虜となった連合国軍捕虜であった。 連行された人々は全国各地の労働現場に配置され、厳重な監視下の元で苛酷な労働に従事させられた。 1944年6月のサイパン陥落で、米軍による本格的な本土空襲か始まり、「本土決戦」が日本側の最重要課題となった。 長野県はその地理的環境から天皇や大本営など政府の中枢機関を移転する候補地となり、全県を挙げて各施設の突貫工事が始まった。 本書は、長野県内各地の労働現場で使役された朝鮮人・中国人・連行国軍捕虜が置かれた苛酷な状況がどのようなものであったのか、長年にわたって史料を渉猟し、生存者の聞き取りを行い、現場を歩いた貴重な記録である。
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