新幹線というモチーフが使われていること、そして擬人化された新幹線と子どもとの日常を描いたという点で子どもたちに人気だと思っていたしんかんくんシリーズのうちの一冊。
二度、三度と読んでやっと理解できると、可愛らしい絵柄とは裏腹に、個人的には不快なテーマでした。
全体的に、かわいい赤ちゃんがたくさん出てくる絵は和みます。
途中の下品な描写は、子どもによってきっぱり好みが分かれるところでしょう。
最初に読んだ時、ラストに近いところで、しんかんくんの発したセリフの意味を私はつかめませんでした。
預かった赤ちゃんの世話をしていて、その赤ちゃんたちがいなくなって不安で泣いていたしんかんくん、赤ちゃんたちが見つかった直後に発した「(自分は)ママがいなくて泣いてた訳じゃないんだ」ってどういう意味?どうして唐突にママ?このシーンになぜママが関係あるの?と。
2度目に読んだ時、自分だって「赤ちゃん」なのだと、赤ちゃんたちの世話を上手くできなかった自分を感じてしんかんくんが泣くシーン、その流れからの思考回路かと気づきました。
つまり、しんかんくん=まだ赤ちゃんの世話ができない赤ちゃん、その赤ちゃんが調子に乗って、できもしないのに大勢の赤ちゃんを後先考えずに預かった。自分が預かると言っておきながら、「赤ちゃんを押し付けていった(しんかんくんの目線)」ママたちがいなくなって不安でしょうがなかったということか!と。
なんのためらいもなく、大切な赤ちゃんを託す母親たちのシーンが冒頭にあるので、そことの整合性がなく、1回目は正しく読み取れませんでした。
さらに後日気づいたこと。赤ちゃんたちが見つかったシーンでは、赤ちゃんたちはみんなでしんかんくんのママ(あるいは一般的な「ママ」という存在)に扮していたのだということ。なるほど、分かりにくいけれどちゃんと3つの場面はつながっていて、しんかんくんのセリフはそれを受けてのことだったのだと分かりました。
しんかんくんを立派な「大人」だと思って赤ちゃんを託す母親たち、なのにしんかんくんは実は「子ども」そしてそんなしんかんくんをなぜか深く理解し、大人目線で慰める赤ちゃんたち。それまでは普通の赤ちゃんたちとしてしか描かれていないのに。
母親たちと赤ちゃんたちのその設定の不自然さがこのストーリーを非常に分かりにくくしているのですね。
実は1ヶ所だけ非常にリアルな場面がありました。それは奮闘するしんかんくんをサポートするかんたろうくんの場面。なんだか慣れないパパと息子が赤ちゃんのお世話をしているように見えました。
このシーンがあったばかりに、私のこの物語に対する印象は次のようなものになってしまいました。
それは、未熟な父親が、妻に赤ちゃんの世話を頼まれ、上の子の力を借りながらなんとか頑張ったものの結局、俺が「子ども」なのに上手く出来るわけないじゃん!と逆ギレしつつ、でも、赤ちゃんという存在はかわいいと思いたい、という物語です。
かわいい絵柄なのにホラーです。