宮沢賢治の年譜によると、大正12年(1923年)7月31日、青森、旭川を経て稚内から樺太に渡るとある。翌8月11日には花巻に戻っているから、かなりの強行軍だ。
賢治、27歳の時である。
この時の賢治は農学校の先生で生徒たちの就職先を探すことが目的だったらしい。
旭川に着いたのは、この絵本の作者あべ弘士によれば、8月2日の朝5時頃だという。
のちに賢治はこの時のことを「旭川。」という詩で残している。
この絵本の裏表紙の見返しに、その詩がのっている。
書き出しはこうだ。
「植民地風のこんな小馬車に/朝はやくひとり乗ることのたのしさ」。
わずか28行の詩である。
その詩にインスパイアされて生まれたのが、この絵本だ。
『あらしのよるに』で人気絵本作家になったあべ弘士は、旭川動物園の飼育係として働いていた経験を持って、その後も動物たちの生態を巧みに描いた絵本を数多く刊行してきた。
この絵本では作風を思いっきり変えている。
これこそ、新境地という言葉が似合う、一冊だ。
読みながら震えるような感動を味わっていた。
何故なら、絵の素晴らしさをまずあげよう。
巧みなデッサンと色彩の配置。絵本の絵というよりも文芸作品の挿絵のような厳かな感じがいい。
次に賢治の詩から想像の翼を大きく広げていること。
先ほども書いたように賢治の詩はわずか28行。その詩をそのまま描いたわけではない。
朝の旭川駅の様子をどう絵にするのか、町の様子はどうか。人々の姿は。
あべはこの作品を描くにあたって、おそらく当時の旭川を描いた絵か写真を参考にしたのではないだろうか。
賢治のいた旭川という町が生きているのだ。
そして、オオジシキという鳥。
この鳥のことは賢治に詩には出てこない。
しかし、あべはこの鳥をまるで天の使いのように描いている。
あべはこう文をそえる。「それはまるで/天に思いを届け、天の声を聞いて帰ってくる使者のようだ」。
あべはこの鳥に宮沢賢治の思いを託したに違いない。
この作品が今後あべ弘士の代表作になるような予感すらする。