この絵本の存在を知っている人は、いったい日本に何人いるのでしょう。ちょっと心配。
この絵本は、話しのあらすじやオチを、正確に文章で表現するのが難しいです。
主人公のターニャは子猫、だと思います。お母さんも猫、遊びに来たおじさんとおばさんも猫、でしょう。他に主要な登場人物は、犬だと思われるテーオと名乗るおじさん。
ターニャの顔は、目鼻口ともに線1本で書かれています。しかし、表情の変化が微妙に表現されていて楽しいです。特に「じゅうどう」の場面の凛々しさは、中々素晴らしい。
文章も軽やかで、「あたらしいボールはいいにおい。ポンとはずんで、ピョンと とぶ」なんて感じで、お話し進みます。
ファミコン時代のコンピュータゲームの一ジャンル、「横スクロール式アクションファンタジー」的なノリです。「スーパーマリオ」とか「高橋名人の冒険島」とか。
これは、比喩的な意味だけではなくて、この絵本は、最初から最後まで、大きな横長の絵になっているということです。
完璧に1枚の絵というわけではないのですが、ターニャのいる世界が、1冊の本の中に等縮尺で詰め込まれているという感じです。
別の表現をすれば、人形劇的な要素を持っている。
登場人物と舞台、背景を、距離的に固定したカメラで追っていく展開でお話しが進みます。
それを徹底している絵本です。
舞台や映画を意識している画面構成と言っても良い。絵画や写真で言うところの、構図にこだわっています。
だからなのか、絵本には珍しく突き放した感じ、第三者的な視点が感じられます。
作者は映画の撮影で言うところのカメラワークを意識してしていないのだと思います。
具体的には、被写体を@ズームアップしない、Aパンしない、という縛りで絵を描いているようです。
これ、写真や映画を撮ってみれば分かるのですが、ものすごーく、もの凄く、難しいこと。
強調出来ない、変化つけられない、急な場面転換はできない、ということですから。
カメラワークがないために陥る冗漫な流れは、絵の質と話の展開で補って防いでいる。
それどころか、自分で作った縛りの効果で、最高に面白い水準まで質を高めてしまっている。
カメラ1台で、ワンカットで全編撮影した職人技の映画のようです。
その点、作者は、天才です。
絵は細部まで手が入っていて、とても楽しい。部屋にいるハエ、ネズミ、牧場の牛の表情など話しの脈絡とは全く関係ない部分がとても気になります。
また、とてもお母さんには見えないターニャのお母さん、剣山にしか見えない玄関マットなどもいい。
題名の「ターニャのぼうけん」は、看板に偽りありというか、「これは冒険なの?」と思います。
題名は「ぼうけん」と書かれていますから、もしかしたら漢字で書くと「某犬」なのかもしれない。
何十回と読み聞かせをしてきた私の結論としては、かなり力を込めて「冒険、ではないよね」と言えます。
主人公のターニャは、この日の経験をお母さんには話していないような気がします。そういう意味では、親から独立した経験の積み重ねというのが、人生においては、子どもの「冒険」なのだよ、お父さん、お母さん、と言えなくもないかもしれない。
と自分で書きつつ、それは相当無理のある歩み寄った解釈だと思います。
子ども達も、この絵本は他の絵本と違うと感じている気がします。作者は何だか3人分くらいある長い名前だし、「キャベツのにおい」ってなんなの?とか、テーオの屋敷にBSのアンテナがあるように見えるなど、謎は尽きないし、話しにオチというか結論的なものが無い。
しかし、こういう絵本が1冊、家にあっても良いと私は思います。
話しの展開こそ油断ができませんが、それが楽しく、ヘタウマ風の絵も愛おしい絵本です。