冒頭の「朝日が差しこむ六年一組の教室で、十一月の肌寒い秋風がカーテンをゆらした」の一文で、心は物語の中へすぐに入ってしまった。
毎日、毎日、児童文学を読んでいるが、今日本の児童文学どんなことになっているのだろうと思うぐらい秀作が多い。
この作品も、構成や登場人物の感情の描き方、登場人物の配置など、うーんとうなるほど、上手い。
特に、泣けたのは5章の「PTA運営委員会」の滝川祥子の話だ。
自分の子どもは悪くない、だがそれを皆がわかるように伝えるのは難しい。でも言わずにはおれない。そんな場面は、保護者であるなら、少なからず経験する場面だ。
思ったことを口にするということは、普段感情を抑えて調整をとろうとする生き方を選んできた人には苦痛である。自分のことなら、どんなことでも耐えられても、我が子がおかれている立場や気持ちを思ったら、そんなことも言ってはいられない。親の気持ちが痛切に伝わってきた。
物語は、大繩大会の練習時にベテラン教師がかけた不適切な言動が発端となり、それぞれの登場人物の受け止め方の違いや人物像・家庭環境が、浮き彫りになっていく。
この物語に出てくる子どもたちは、とても賢く勇気がある。子どもの時に、大人になっていく軸は育っていくのだなと改めて思った。
子どもの頃に、『飛ぶ教室』を読んで、大人になっても子どもの頃の気持ちを忘れない大人になろうと思ったことを思い出す。児童文学を侮ることなかれ。大人も読むべしなのだ。