谷川俊太郎さんが「子どもの自殺をテーマに本を作った」と聞き、まずこの本を紹介したNHK番組を見ました。
その番組によれば、子どもの自殺では、死を選んだ理由が分からないことが多いそうです。番組に登場した自殺防止センターの方も、自殺を願う本人にとっては、他人から安易に「分かるよ」と理解を示してもらいたくない気持ちの方が強いのではないか、とおっしゃっていました。そして谷川さんも、いまは意味偏重の社会になってしまっていて、なんでも意味を見つけて満足しちゃうけど、逆にものごとを意味付けないでただじっと見つめることが大切ではないか、とも言っていました。だから谷川さんは、死の理由や意味を読者に「分かってもらわないように」この本を作ったようです。
意味偏重でいいのか?ということについては、なるほどと思います。そして実際にこの本を読んでみたら、たしかに登場人物の「ぼく」が自殺をした理由とか経緯は最後まで読んでもぜんぜん分かりませんでした。
でも、大きな疑問が湧きました。この「分からないでもいい本」を作った谷川さんご本人は、いったいどうして、ぼくにとって死が「いたくなかった こわくなかった」と分かるのでしょう。どうして「いなくなっても いる」んだとか、そういう死んだ者の感覚や気持ちや状態をこんなにもはっきり分かるのでしょう。谷川さんは子どもの自死のことをすみずみまで分かっているのでしょうか。それとも、想像力を働かせさえすれば、子どもの自死について、小さな子も読むかもしれない絵本の中でこんなにはっきりと「自分で死ぬことって、人と場合によっては、こういうものなんだよ」と断言できるくらいに死のことを分かることができるのでしょうか。
番組を見た時は、あえてタブーに挑んだ本でとても奥が深くてすごいことが書かれている本に思えたのですが、読み終えて思ったのは、ただ単純に「タブーに踏み込んで、よく分からなくて、奥が深い」とか「絵が神秘的」ということだけで気持ちよくなったり癒されたりしてはいけない本なのだろうな、いうことでした。悪書だとは思いませんが、子どもたちに紹介するときには慎重に取り扱った方が良いかもしれません。