「なぜ?」、「どうして?」と疑問を持つことは大切なことだと大人は知っている。けれども、実際にそれを口にする子どもがいると、大人は自分が答えられなかったり、面倒くさくなってしまい、エイダの両親のように「いい加減にしなさい」と言ってしまう。そうすることは、子どもの好奇心や可能性の芽を摘んでしまうことだとわかっていても、日常の雑事に追われる大人には余裕がない。
加えて、明治維新後の世界情勢のなかで構築された日本の教育制度は、エイダのような「なぜ?」、「どうして?」と疑問を持つ子どもを駆逐する。子どもは、黒板を見て先生の言うことを理解し、言われたことを正確に遂行することが求められる。このような教育の在り方は、エイダのような特異な才能を持った子どもを異端として扱い、その能力を開花させることはできない。
教師、教育行政担当者、親など、子どもに関わるすべての大人は、昨今の閉塞的で停滞した日本社会を良くするためにも、エイダの両親を見習うべきなのだろう。
日本及び日本人の教育に対する姿勢に一石を投じる絵本だったと思う。