昨日(2017年4月28日)、この絵本が本屋さんの棚に表紙を前においてあるのを見かけて、二度見してしまいました。
「え? 『生きる』って、もしかして、あの谷川さんの?」と、名前を見ると、やっぱり谷川俊太郎と書いてあって、衝撃に近いものを受けました。
というのも、実は、2か月前、毎日のようにこの詩を、この春、中1になった息子の音読の宿題で聞いていたからです。初めて聞いた時、息子の音読が下手すぎて、題名はすごいことを言っていたけれど、「え? 何言っているの?」 という感じで、息子の手から教科書をひったくって字を追いました。やっぱり谷川さんの詩で、言葉に力が宿っていました。
生きているということ、それはヨハン・シュトラウス、それはピカソ、
支離滅裂なんだけれど、ズバ、ズバっと、強烈さをともなうものが続き、生きるということには鼓動がともなうものなのだということが、詩全体から伝わってきました。生命賛歌なんだと思いました。
この詩の意味を小学6年生がすっかり理解できるのかな?と思う反面、何度も聞いている間に、いや、でも、今、6年間学んだ小学校というある意味での温室から出ていく6年生たちに、あえて、この詩を送ろうと決めた教科書の編集者さんたちの粋な計らい? いえ、はなむけの言葉に胸が熱くなりました。
そんな詩が、絵本になるなんて、本当に驚きでした。そして、絵には、市井の日常の生活が描かれていて、それも最初は意外に感じましたが、でも逆に、それこそが谷川さんがこの詩の中で意図することなんだと感じ、いい絵本だなと思いました。
後ろに谷川さんのコメントが載っていて、この詩は随分と前に書いたそうです。それこそミニスカートが最初に流行った頃に書いた詩だそうです。だからか、絵も30年くらい前?と感じるような、ノスタルジーのある絵に仕上がっているのかな?と思いました。
そして、私が何よりも好きな絵のページは、バスが描かれているページです。私の地元の京急バスがそこに登場しているからです。ますます親近感がわきました。
この本は、6年生の国語の最後の方に載っていたように、卒業をする児童や生徒に送りたいと思った絵本でした。子供には詩に描かれていることが最初は分からないかもしれません。でも、年を重ねて思い出した時にでも読めば、少しずつ、じわりじわりとその鼓動が伝わってくる詩だと思います。もしかしたら、この詩を理解するには、人生経験を積むことが鍵になっているのかもしれません。是非、読んでみてください。