ぼくが「ぼうや」と言われた時の戸惑いとショックは
いかばかりのものだったろうと思いを馳せながら
では、おじいちゃん本人の気持ちはどうだったのだろうと考えます。
母の風船は、いま、手を離れていくばかりです。
手にしていたはずの風船のひもが
知らぬうちになくなっていることに気づき
娘である私や、孫である息子達より
当の本人が、その事を嘆いて泣くのです。
「代わりに覚えておくよ」と言っても不安を和らげることはできず
無力感でため息が出ます。
認知症って
何もかも忘れてわからなくなってしまうんだと思っていましたが
そうではなくて、わからないことが少しづつ増えてはいくけれど
変わらずに、わかることはわかっているのです。
昨日の風船、5分前の風船さえ飛んでいくのに
5歳の時に母親と死別した悲しみの風船は握り続けたまま
思い出しては涙をこぼします。
訳者の落合恵子さんのあとがきには、
初めて「おかあさん」と呼びかけられたときの衝撃と動揺は…
の一節がありますが
私は母の「おかあさん」になれたら
少しは力になれるだろうかと淡い望みを抱いているのです。