この世に電話が誕生しても、FAXが稼働しても、Eメールが開発されても、チャットが活発になっても、SNSが台頭しても、オンライン通話が当たり前になっても、朽ちることなく手紙は有り続けている。紙と鉛筆、或いはそれに相当するもの、そして「伝えたい」という意思があれば、手紙は誰にでも書くことが出来る。
しかし手紙は、書いてから相手に届くまでに時間がかかるし、相手がすぐに読むとも限らない。そして相手が読んで、どんな顔をしたかも、そもそも読んだかどうかも分からない。手紙とは、究極のエゴなのだ。
だが、だからこそ、手紙はその誕生から今までの長い時間、残り続けているのである。手紙という名の誰かのエゴが届くとき、何者にも変えがたい驚きと期待が胸を小さく炒ることを、私たちは知っている。今日もどこかで手紙が書かれ、誰かが手紙を受け取っている。
「おてがみであいましょう」は、「ひっこししたくなかったなあ」「おばあちゃんとおしゃべりしたいな」と落ち込むくまのマルちゃんが、引っ越しで離れてしまったおばあちゃんと手紙のやり取りをする話である。引っ越しをしたことはどうしようもない現実で、おばあちゃんには簡単に会えない。手紙は所詮手紙であり、それらの根本解決にはならない。
それでも、マルちゃんとおばあちゃんは手紙を通して、お互い元気になっていく。それは読者である私たちが、いつしかマルちゃんとなりおばあちゃんとなり、手紙の中身を楽しみにしていることに気付いた時に、証明されるのだ。是非ご一読頂きたい。特におばあちゃんの手紙は圧巻である。