コロナ禍、近年続く自然災害、近隣国との軋轢…
聖武天皇が憂えた危機感も
こんなふうであったのだろうかと想像します。
今日でさえ
大きな橋や超高層ビルを見ると
どうやって造るのだろうと感心しますが
コンピュータも重機もなかった天平のむかしに
よくもまあこんなに大きな仏像を!
と感嘆せずにはいられません。
君麻呂という偉大な設計者がいたこと
周りに土を積み上げ炉を移動しながら青銅を流し込んだり
頭部と手は別に作って鋳カラクリ法でつなげたこと等々
「なるほどそうやって」と頷くことばかり。
日本史の教科書には
743年大仏造立の詔が出され
752年に開眼供養の儀式が行われたことのみ載っていましたが
その後、頭がとれたり、大仏殿が焼失したり
修復や修理、再建を繰り返して
現在に至っていたのだと知りました。
建立されてから1300年もの間かわらず
人々を守ってくださってきたということであり
大仏さまもまた人々によって守られてきたのですね。
青春時代、一目惚れした仏像があります。
深い黒、限りなく慈愛に満ちたお顔―中宮寺の弥勒様。
吸い込まれそうになった記憶があります。
半世紀が過ぎ、親友から
その弥勒様に魅せられたと先日、便りが届きました。
私が出会った50年前からずっと同じ姿で私達を包んでくれていたのだ、いや実は50年どころか飛鳥時代からずっと人々の心を救ってきたのだと思い至りました。
そして私達がいなくなってからもかわらずに人々を癒し続けるのだと。
だから『ならの大仏さま』の中の
「大仏建立に関わりをもった人はつぎつぎに歴史から消えてゆきましたが、大仏は残ります。」の一節に感じるものがありました。
消えてはゆきますが、関わりをもった人々(許されるなら私達のように建立、造営に携わらなくとも心惹かれた人も含め)の思いも
残る大仏とともにあると信じたいです。