おとなになると、色々なものを手にいれることができる。
お金、恋愛、家庭、その他もろもろ。
その反面、失うものもたくさんある。
その一つが絵本とか児童書の世界だ。
もっとも絵本であれば、子どもができればもう一度出会えることもあるが、児童書ともなれば、子どもたちは自分で読んでしまえるから、なかなかおとなが読む機会が少ない。
だから、その世界がどんなふうになっているのか、知らないことが多い。
この本もそうだ。
「小学校中級から」となっている、フランスの作家による翻訳児童書。
小学校の中級ともなれば、こういう世界観さえ理解できることに驚く。
表題作である「わたしの世界一ひどいパパ」は、このタイトルから書かれている内容は本当は世界一いい父親を描いた物語ではないかと想像していたのだが、何しろ読むのは小学校中級ですよ、本当にひどい父親が登場する。
元消防士のパパは自分で放火してそれを消し止めていたくらいですから、なんという悪人。けんか、賭博、それにかわいい娘がいるのに愛人までいる、どうしようもない男。
今は刑務所にいる。母親と娘が面会にやってくるのだが、その機会をうかがって、なんと脱走してしまう。待っていたのは、愛人。父親と愛人に連れられて、娘の逃避行が始まる。
児童書でここまで書いていいのと、つい思ってしまう。
ところが、なんともすがすがしいのだ。
ラスト、「世界一ひどいパパ」から救い出された娘が、父親とのことを生き生きと絵にする場面では、子どもの感性とは、いいこととか悪いことといった区分けではなく、どうしようもなく生きていることに反応することがわかる。
その他の二つ、「弟からの手紙」も「ぼくと先生と先生の息子」も、行儀のいい家族が登場する訳ではない。
「弟からの手紙」のお兄ちゃんは、同性愛者(といっても、それをあまり感じさせないが)という設定というのもすごい。
子どもはおとなが考えている以上に、ずるがしこいし、欲深い。
愛の独占なんて、当然と思っている。
おとなになるということは、そういうことを捨て去ることかもしれない。