金子みすゞの詩に「もしも、母さんが叱らなきや、咲いたさくらのあの枝へ、ちよいとのぼつてみたいのよ。」で始まる「さくらの木」という作品があります。
「もしも誰かがみつけなきゃ、ちょいとのぼつてみたいのよ。」で、終わります。
春になって、ちょっと楽しい気持ちに弾む女の子の心情がわかる、詩です。
春が来て、この女の子も少しだけ大きくなったのでしょう。
この絵本にも、金子みすゞの詩のようなくだりがあります。
「おおきくなるっていうことは まえよりたかいところにのぼれるってこと」。
文は保育士の経験もある中川ひろたかさん。
この文章には大きな松の木を高い枝に腰かけている男の子の絵がついています。
絵は村上康成さん。この絵本全体がやさしいのは、村上さんの絵の魅力も大きい。
ページをめくると、こうあります。
「おおきくなるっていうことは たかいところからとびられるってこと」。
もちろん、村上さんの絵は、高い木から飛び降りている男の子です。
でも、「おおきくなるっていうことは」それだけでは、ありません。
次のページで、中川さんはこう綴っています。
「とびおりてもだいじょうぶかどうか かんがえられるってことも おおきくなるっていうこと」。
金子みすゞの詩の女の子も、「もしも誰かがみつけなきゃ」さくらの木にのぼりたいと思ってはいますが、そうはしない。
のぼらなくても、彼女は遠い町のようすが見えるだけ、大きくなっているのです。
人は毎年ひとつずつ大きくなります。
背丈が伸びるのは若い時だけですが、生きていくという経験が人をいつまでも大きくします。
中川さんは、こう結んでいます。
「おおきくなるっていうことは じぶんよりちいさいひとがおおきくなるってこと」「おおきくなるっていうことは ちいさなひとにやさしくなれるってこと」。
幼稚園でしょうか、やさしそうな園長先生が子どもたちにそう話しかけています。
でも、それは子どもたちだけではありません。
みんながみんな、「おおきくなるっていうことは」、どういうことかを考えるということです。