大切に世話をしていた朝顔が、立派に花を開かせました。喜んだ両親は近所に住む光子ちゃんの家族にも見せてあげようと、「ぼく」に朝顔の鉢を持っていくように話します。ところが、光子ちゃんは朝顔をもらえるものと勘違いし、大事な朝顔はもどってこなくなってしまいました。
心の洗われる作品に出会いました。大正後期から昭和初期と思われる日本の家族風景が描かれた掌編です。一人称で淡々と語られる少年の心情が素直で、ひかれます。敬語の会話が当時の雰囲気をよく伝え、心の大切さを形を通して表していた時代というのでしょうか、凛とした中にも家族愛、人間愛が伝わってきて、心が震えました。
作品を読み、祖母を思い起こしました。ちょうど彼女の幼少期に当たる時代の風景です。祖母もこういう敬語使いでよく昔のことを話してくれたので、彼女の気持ちも一緒に伝わってきました。きっと、両親とこういう会話をしていたのかな、と。
息子と一緒に、ゆっくり丁寧に読みました。あまりにも美しい作品なので、わたしは彼に書写を勧めてしまったほど。時間がかかってもいいので、この作品は心から味わって欲しいと思っています。こういう日本の時代物もいいなあとしみじみしました。表現が丁寧で、的確、故に心が伝わるのですね。井上靖著「少年・あかね雲」もぜひ読んでみるつもりです。(本作品の出典は「掌編小説集青いボート」。現在は残念ながら入手不可)