博物館の剥製の蜂雀の話に、そっと耳を傾ける少年がいました。
それは兄妹二人だけで仲良く楽しく暮らしていた、ペムペルとネリという子どもの話でした。
二人が育てた赤いトマトの中に、一際輝く黄色いトマトがありました。
ペムペルとネリはその美しいトマトを見て「これは黄金なんだ」と、心からそう思いました
私は無知が不幸だとは思いません。
でも、どうしてあんな風に言われたのか
傷ついた理由もわからない
それが悲しい
二人の心は傷ついたまま、誰も教えてくれる人がいない
それが不幸なのです
蜂雀の声が二人に聞こえないならば、慰めてあげることもできない
それが一番悲しいのです
いい音の誘惑に胸躍る二人の目には、世の中は楽しくて輝かしいものに見えたのでしょう
でもそれは二人の小さな世界にはない、冷たさや非情さも一緒に連れてやって来たのです
少年に蜂雀が言った「ああいうかなしいことを、お前はきっと知らないよ。」という言葉が、頭から離れません。
教育を受けた者にはわからない。
二人はあまりにも、純粋だったのです
…後半は可哀想で可哀想で、もう見ていられませんでした。
幼い二人の心が壊れてしまったのではないかと思うと、胸が張り裂けそうです。
剥製になってもなお、二人を忘れられないでいる蜂雀もまた悲しく、そんな蜂雀の苦しみは計り知れません
でも蜂雀の声は二人には届かなくても、あの少年には届きました。
あの少年だからこそ話をしたならば、番人のおじいさんがこっそり少年を室の中に入れてくれたのも、全てわかっていたからなのかもしれません。
おじいさんも小さい頃に蜂雀の話を聞いたのか…
おじいさんはもしかしたら、ペムペルなのか…
読み終えた後も、ずっとそんな事を考えてしまいました。
未完成のお話ということで矛盾な点などもありましたが、降矢さんの素晴らしい挿し絵に酔いしれながら、ゆっくりじっくり自分の中で解釈し想像しながら読み進めることができました。
悲しくも美しいこのお話が、私はとても好きです
できることなら、完成された作品も読んでみたい
私にとって、とても大切な一冊になりました。