人気コンビがおくる、新作クリスマス絵本
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インタビュー
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2015.08.20
『ねないこだれだ』や「おばけえほん」シリーズなど、デビューから現在まで多くの作品が読者に愛されている、絵本作家のせなけいこさん。絵本ナビで販売している「ねないこだれだ」おばけTシャツは、絵本のグッズでは異例のセールスを誇る人気商品です。そんなせなさんの代表作、「めがねうさぎ」シリーズが今年40周年を迎えました。40周年を記念して、せなけいこさんにおはなしを伺いました。「めがねうさぎ」のモデルは誰か……? 絵本作家になるきっかけとなった師匠とは誰か……? 子どもの頃に読んだ方も多い人気シリーズの秘密に迫ります。
「めがねうさぎ」シリーズ40周年、おめでとうございます。シリーズ1作目の『めがねうさぎ』が出版されたのが1975年。絵本ナビのユーザーさんの中には、子どもの頃に読んだという方も多いと思います。
うちのうさぎも老けてきたのね(笑)。『めがねうさぎ』は、息子が小学校に入って、先生からめがねをかけた方が良いといわれて、めがねを買ったの。でも、クラスでめがねをかけている子が少ないから、気分が落ち込まないように、めがねは楽しいんだよというおはなしを作ろうと思ったのがきっかけ。
では、『めがねうさぎ』の主人公、うさこのモデルは息子さんだったんですね。
そう。その息子も今は大きくなって、大学の先生になりました。絵本はみんな子ども達を見ながら、モデルにして作っているものが多くて。あんまり絵本で描かれるものだから、息子は妹に「いい子にしてないと、またママに本にされちゃいますよ!」っていったこともあったの。
絵本のモデルになるなんて、嬉しいことのように思うのですが、意外です。「めがねうさぎ」シリーズは、おばけも重要なキャラクターですよね。おばけにはどなたかモデルがいるんですか?
おばけは特にモデルはいなくて、当時、息子がおばけが大好きで、特に水木しげるさんのファンだったの。それで、息子と一緒に「ゲゲゲの鬼太郎」を見ながら、「小さな男の子がこんなに熱中するなら、おばけは子どもにとって魅力的なんだろうな……」と思って、おばけを描くようになりました。
普遍的な形なのに、目にした誰もが「せなさんのおばけ!」と分かるほど、特徴的なおばけですが、この形にした理由はあるんですか?
水木しげるさんの描くおばけや、ほかのおばけの絵も沢山見たけれど、子どもに見せるのだから、本当に怖くてはいけない。楽しいおばけを作ろうと思って描いています。これが動物なら、うちに一匹飼っておくんですが、そういう訳にもいかないですからね(笑)。
たしかに……(笑)。おばけは飼えませんが、動物は色々飼われていたんですか?
動物は大好きだったので、色々飼いました。イヌもネコも、ウサギもね。
ウサギも?! では、絵本に出てくるうさぎは、せなさんが飼っていたウサギなんですか?
ウサギは2匹飼っていて、1匹は「うさんごろ」で、もう1匹は「はんしろう」。「はんしろう」は絵本にも登場しますね。
うさぎの「はんしろう」シリーズ(グランまま社)ですね。そんなにたくさんの動物を飼われていたなんて、驚きです。
私はすぐに触っちゃう方だったので、たくさん仲良しがいてね(笑)。若い頃、一時期コピーライターのアルバイトをしていたことがあって、映像作品を作るときに、撮影班と一緒に動物園に取材に行ったことがあったの。その動物園のチンパンジーが私に懐いて、おりの中から出てきて私に飛びついてきたの。私、嬉しくってね、大喜び。今でも、チンパンジーの絵を見ると、あのとき、抱っこした匂いを感じるんです。
チンパンジーにもせなさんの動物好きが分かったんですね。『めがねうさぎ』が出版されて、1年後には2冊目の『おばけのてんぷら』が出版されました。『めがねうさぎ』で、うさこに代わってめがねを探してくれた“あの”おばけが、今度はてんぷらにされそうになっちゃう! 『おばけのてんぷら』のアイディアはどのように生まれたんですか?
夕食でてんぷらを作るとき、やっぱり揚げたてが美味しいから、台所で揚げて、すぐに子ども達と食べちゃうときがあって。「次は、おいも!」とか「エビ!」とかリクエストを聞いてね。そこから生まれたおはなしです。『おばけのてんぷら』ができてからは、うちではてんぷらのときにちゃんとおばけのてんぷらも出すんですよ。子どもたちは食べたとき、「おばけの味がする」っていってました。
どんな味なんでしょう? わたしも食べてみたいです。3冊目の『めがねうさぎのクリスマスったらクリスマス』は2002年。『おばけのてんぷら』から26年経っています。
そんなに経っているのね。絵本はいつも作っているから、間が空いているなんて、全然気づかなかった。でも、随分長く描いていなかったから、うさこの洋服の紙があるか、心配だったのは覚えているわ。
せなさんは貼り絵で絵本を制作されますが、うさこの洋服の紙は特別な紙なんですか?
鎌倉の文房具屋さんに売っている、包み紙です。この柄がとても気に入ったので、しょっちゅううさこに着せているの。気に入った紙は、余分に買っておいて、作品を作るときにいつでも使えるようにしています。
作品を良く見ると、はさみを使っているところと、手を使っているところがあるように思うのですが、絵を制作するときの道具のこだわりなどはありますか?
はさみはまっすぐ切れるけれど、手でちぎると、切れ目がぼそぼそして味が出るでしょう。はさみは大きさや切れ味の違うものを2〜3種類使って、細かいところやしっかりとした線をつけたいところははさみで切っています。うさぎの体など、ふわふわした感じが出したいときは、手でちぎるけれど、ただちぎるのも思い通りにいかないから、ナイフやコンパスといったものを紙に当てて、切っているの。
紙を切るという簡単に思える作業にも、こだわりがあるんですね。2005年には「めがねうさぎ」シリーズ4作目となる『めがねうさぎのうみぼうずがでる!!』が発売されました。今回もおばけはうさこを驚かせようとしますが、その方法がうみぼうずに泳ぎを習うこと! おばけが泳げないということをはじめて知りました。
私が子どもの頃、泳げなくって、一生懸命練習して泳げるようになったから、おばけも一生懸命練習しているの。子どもが小さい頃は、しょっちゅう海に行きました。でも、残念ながらうみぼうずには会えませんでした。もし会っていたら、早速連れてきて、うちで飼っていたと思うの。
うみぼうずの訓練で泳げるようになったおばけが「うみぼうずは くろいものだぞ!」といわれて、黒くなるために真っ黒に塗ってみたり、毛糸で服を作ったりする場面が特にかわいいですよね。そして、やっぱりうさこを怖がらせることができないおばけ……。おばけなのに、うさぎに負けてしまっている所も、せなさんのこだわりなのでしょうか?
私はあんまり怖いお化けはかけませんからね。気が弱くてうさぎを驚かせられない、そんなおばけが良いなと思って、作っています。反対に、うさぎは私の性格を受け継いでいるから、強いんです。
なるほど〜〜〜。おばけではなく、うさぎがせなさんなんですね(笑)。現在4冊出ている「めがねうさぎ」シリーズですが、一番作るのが難しかった作品はありますか?
1冊ずつ作っていくわけですから、どれが特に……という感じではないですね。子どもはすぐそばにいますから、子どもを見ていると、おばけの動作も自然と思いつくの。
そうして絵本にすると、お子さんから「いい子にしてないと、ママに絵本にされますよ!」と警戒されちゃうんですね(笑)。せなさんのおはなしを伺うと、身近な家族とのやり取りから絵本の題材を見つけられているんだな……と改めて思いました。今、「めがねうさぎ」のグッズがたくさん出ていますが、ご自身が描かれた絵本のキャラクターがグッズになっているのはどういうお気持ちですか?
本当、こういうのは自分が決められるわけじゃなくて、読者のみなさんが希望してくださったり、会社の方で作ってくれるので、「ありがとう!」って感じ(笑)。私のうさぎなら、きっと、嬉しくってピョンピョンはねていると思うわ。
デビュー作「いやだいやだの絵本」シリーズ(1969年)から45年以上も第一線で活躍されていますが、絵本作家になったきっかけを教えてください。
絵本というものを知った一番古い記憶は、赤ん坊のころ。武井武雄(※)先生の『おもちゃ箱』という絵本を、私のお守りをしていた人が古本屋で買ってきて、読んでくれたの。このとき、マンガ本を見ていたら、きっと絵本作家にはならなかったんじゃないかしら。
※武井武雄(1894年-1983年)……童画家、童話作家。「童画」という言葉を生み出し、大正から昭和にかけて活躍した。
その頃から、絵本作家になりたいと思っていたんですか?
きちんと絵本作家になりたいって思ったのは、高校生のとき。やっぱり、絵を描くのが好きでしたからね。私、高校までお茶の水女子大学の附属に通っていたんだけど、そのまま大学に進むのがイヤで、美大に行きたいって母にいったんだけど、大反対されて。「だったら、明日から一銭ももらいません!」って、高校を卒業して働いたの。働きながらも、絵本作家になりたいと思っていて、知り合いの伝手を頼って、武井先生のところに行って、弟子にしてもらったの。
すごい! 1歳の頃から憧れていた作家さんに教えてもらえるようになったんですね。
どうしても自分の一番好きな武井先生に教えてもらいたいという熱意と勇気だけはあったから(笑)。そのころ、武井先生には10人お弟子さんがいたけれど、みんな大正生まれのおじさんばかりで、高校を出たての私をよく弟子にしてくれたなって今でも思う。
武井武雄さんはどんな先生でしたか?
厳しいけれど、尊敬できる方。月に1回、それまでに描いた絵を全部持って武井先生のところに見てもらいに行くんですが、ここが悪い、ここが悪いって叱られてばっかりで、良いなんていわれませんでしたよ(笑)。10代の私には、偉大過ぎてあんまり親しくはできなかったけれど、赤ん坊の頃から憧れている先生に習っているからと、一生懸命通いました。
今のような切り絵の画風になったのも、武井さんのところに通われてからなんですか?
切り絵は兄弟子の中に影絵をやっている方がいらして、その方の作品を見ていたら、「貼り絵がやりたいなら、教えてあげましょうか?」いってくれて、教わりました。
貼り絵をはじめてやったときは難しくなかったですか?
自分がやりたくてやるんですからね。武井先生に絵を見てもらいながら、先輩方にも絵を見てもらっていろいろ意見をもらったり。習った人はたくさんいますし、色々教えてもらいました。
そうやって、いろんな方の影響を受けながら、せなさんの作品が確立していったのですね。小さい頃はどんなお子さんでしたか?
子どもの頃はおてんばで、近所の遊び友達がみんな男の子ばかり。戦争中だったから、一緒に戦争ごっこをやって遊んだの。でも、体育は苦手な子でした。絵を描くことは好きで、幼稚園くらいから、鉛筆でちょこちょこと描いたり、おはなしを作ったりしていました。
小さい頃から、絵を描いたり、おはなしを作ったりしていたなんて、驚きです。
おはなしは頭の中でどんどんできちゃうの。絵も鉛筆で簡単に書くんだったら、どんどん描けますからね。おはなしを作るのは面白いですから、あなたも作ってみません?
せなさんにいわれると、おはなしが簡単に生まれるように思います。最新刊『およげないさかな』は、今までの作風とガラッと変わった線画のタッチが新鮮でした。
最近、目が悪くなってしまったので、なかなか思うように絵が描けなくなって……。でも、本当はもっといっぱい本を描きたいから、おはなしを作る方に回ろうかと思っているの。絵ばかりは、誰かに継がせるわけにもいかないですからね。
せなさんの絵が見られなくなるのは残念ですが、おはなしでせなさんの絵本を楽しめることができるのは、読者としてもとても嬉しいです。最後になりますが、せなさんの絵本を読んで育った親御さんたちと、これからせなさんの絵本に出会う子どもたちにメッセージをお願いします。
40周年、本当に長い間、うさこが人気になってくれて、とてもうれしいです。お母さんたちも、お子さんが「めがねうさぎ」に興味を持って「読んで、読んで」といってきたら、懐かしみながら読んでくださいね。
絵本ナビでも引き続き「めがねうさぎ」シリーズをプッシュしていけたらと思います。ありがとうございました。
ニットのベレー帽をかぶった、とってもオシャレなせなさん。インタビュー中もはなしの端々に笑いを織り交ぜ、絵本ナビスタッフの緊張をほぐしてくれました。目が悪くなってからはなかなか思うように絵が描けないと残念そうにされていましたが、すぐに「でも、これからはおはなしを書こうと思うの」とおっしゃり、絵本に対する情熱はまだまだ燃え続けているせなさん。「せなさんが文章を書いた絵本を早く読みたいです」というスタッフにすかさず「私が絵を描くから、文章を書いてちょうだい!っていってくれたら、すぐにでも書くのに」と返すオチャメさに、スタッフ一同、ますますファンになりました。
インタビュー・文: 木村春子(絵本ナビライター)
撮影:所靖子