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- ためしよみ
インタビュー
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2016.08.18
独特な貼り絵のタッチと、ドキッとするようなストーリー展開で多くの子どもたちから人気を集めている絵本作家・せなけいこさん。『ねないこ だれだ』や『いやだ いやだ』、『おばけの てんぷら』など、子どものころにせなさんの作品を楽しんだ方も多いのではないでしょうか? せなさんの半生をまとめた自伝的絵本『ねないこは わたし』がこの度、出版されました。発売を記念して、せなさんのお宅にお邪魔しました。貼り絵に使っている素材や、秘蔵の本なども見せていただいたとっても貴重なインタビュー。ぜひ、お楽しみください。
この人にインタビューしました
東京生まれ。武井武雄氏に師事。1970年、「いやだいやだの絵本」でサンケイ児童文学賞受賞。児童出版美術家連盟会員。「あーん あんの絵本<全4冊>」(福音館書店)、「おおきくなりたい<全4冊>」(偕成社)、「ばけものつかい」(童心社)、「おばけのてんぷら」(ポプラ社)などの作品がある。ほかに紙芝居、装丁、さしえなど幅広い分野で活躍中。
みどころ
1969年に刊行されてから、いまだにあらゆる幼児に読み聞かせられる永遠の名作絵本『ねないこだれだ』。誰もが見覚えのある独特の貼り絵、そして夜更かししていた子どもが「おばけ」になって連れていかれてしまうという衝撃的なラストで、発行部数は200万部以上です。
実はこの絵本はせなけいこさんのデビューシリーズ4冊のうちの1冊でした。当時37歳、2児の母だった遅咲きのデビュー作が、決定的な代表作となり、せなさんはその後も「おばけ」の絵本を描き続けることになります。
その『ねないこだれだ』は、子どもを寝かしつけるしつけの本ではなかった、という驚きの告白からはじまる本書は、せなさんが初めて「自分のことを書いた絵本」。
各章では、デビュー4冊の『にんじん』『いやだいやだ』『もじゃもじゃ』『ねないこだれだ』などを入り口に、その独特すぎる世界、画風、文体やアイデアの源泉、そして本と絵への愛情をつづっていきます。
本書にはまた、貴重な貼り絵の原画の写真が満載。絵本作品ともひとあじ違う見え方で、さまざまな原画を楽しめます。誰もが知る名作はもちろん、絵本デビュー前の雑誌のカットまで、せなワールドをたっぷり楽しめます。
子育てをした人、子育てをする人、絵本が好きなこども、すべての人へ贈る、自伝的絵本。
100ページ以上の本では珍しく、すべてのページにふんだんにイラストが使われています。「おばけ」や「はんしろう」「ふうせんねこ」などのおなじみのキャラクターはもちろん、せなさんの紙芝居や幼児雑誌の挿絵など、珍しい作品まで。まるで画集のようにどのページも楽しめます。
せなさんといえば、やっぱり「貼り絵」! 『ねないこは わたし』の中には、せなさんの制作風景の一部が写真で紹介されています。「『ねないこ だれだ』の女の子が来ているパジャマは、封筒の裏。『ねがね うさぎ』の着ている緑の服は、お店の包み紙。」 身近にあるもので、こんなにステキな貼り絵ができるのなら、チャレンジしてみたくなりますね。
「『ねないこ だれだ』でおばけになって飛んでいきたかったのは、せなさん自身だった?」「“いい子にしていないと、ママに本にされちゃいますよ”が子どもたちの口癖だった?」など、絵本が生まれたエピソードが、たくさん。さらに、どのようにして絵本作家となったのかも紹介されているので、これを読めば絵本作家・せなけいこのすべてが分かる……かも?
せなさんに自伝的絵本をお願いするきっかけは、宮藤官九郎さんのエッセイ『俺だって子供だ!』(文藝春秋)で、表紙を手がけていただいたのを見たことでした。その後、宮藤さんとせなさんの対談も拝読したところ、せなさんのお人柄や絵本への思い、子育てのエピソードが大変魅力的で、ぜひ、せなさんご自身のことを1冊にまとめたいと思いました。『ねないこはわたし』の制作中には、何度もせなさんのお宅にお邪魔し、お話しを伺いました。宝物の山ともいえる書庫の中から、原画やスケッチなどを見つけ、歓声を上げたこともありました。本書は、せなさんの子ども時代から、絵本作家になるまで、そして現在までのエピソードはもちろん、40年以上にわたる作品の原画を、すべてカラーで掲載しています。『ねないこ だれだ』や『おばけの てんぷら』など、せなさんの作品で育った多くの方に、手に取っていただきたい一冊です。
『ねないこはわたし』とってもインパクトのあるタイトルだと思いました。
このタイトルは、出版社さんからアイディアを出していただいたのですが、私はおばけが大好き。おばけに会えるなら、夜遅くまで起きていたいと思う私ですから、このタイトルは私にピッタリだと思い、嬉しくなりました。
読んでいて、最初に面白いと思ったのが『ねないこだれだ』のエピソード。出版当時、「子どもが怖がってすぐに寝てくれてよかった」「いきなりおばけになるなんて、意味がわからない」という声が多かったそうですが、せなさんご自身はしつけや怖がらせることを考えてはいらっしゃらなかったというのが意外でした。
そうなのよ。うちは息子も娘もおばけが大好き。「おばけに なって とんでいけ」と言われたら、「いいよ、とんでいくよ」っていう子だった。もちろん、私もね(笑)。だから、子どもたちが友達になれるおばけを描いてみようと思って生まれたのが『ねないこだれだ』をはじめとした、たくさんのおばけの絵本だったの。
お子さんは、おばけを怖がらなかったんですか?
もちろん怖いのよ。息子が小さかった頃は、水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」がテレビでやっていたの。放送時間が来ると「おばけのテレビ、見せて」って息子が言うから、つけてあげる。でも、私が仕事や家事でテレビの前を離れようとすると「一緒に見よう」ってしがみついてくるの。そういう子どもたちの姿を見ると、おばけの絵本のアイディアがどんどん浮かんできたのよ。
白い体に、黄色い目、赤い口と大きな手……。せなさんのおばけは、一目で分かりますよね。はじめからこういう姿のおばけを描こうと思っていたんですか?
水木しげるさんをはじめ、私にはおばけの先輩がたくさんいましたから、いろいろなおばけの本を見て、おばけとはどういうものかという概念を考えて描いているんです。40年以上もおばけを描いていますからね。おばけの匂いは、もう分かるようになってきたかしら(笑)。おばけの方も、私になついてきているわね。
おばけがなつくなんて、すごいですね。
おばけはかわいいですよ、描いているとね。描かれているおばけの方は言い分があると思いますが……(笑)。
『ねないこだれだ』は「いやだいやだの絵本」シリーズとして、1969年に出版されました。4冊同時発売というのは、とても珍しいことだったと思うのですが、出版に至った経緯も、『ねないこはわたし』の中に出てきていますね。
「いやだいやだの絵本」シリーズが私の最初の絵本です。19歳で絵本作家になりたいと勉強をはじめてから、18年も経っていました。絵本を出版することになったきっかけは、『にんじん』でした。私もだんなさんもにんじんが嫌いだったの。でも、子どもたちには好き嫌いなく食べてほしいから、にんじんを好きな動物がいっぱい出てくる絵本を手作りしたの。ポスターの紙を台紙に、デパートの包装紙やチラシ、画用紙の切れ端を使って絵を貼ってね。その絵本のことを出版社の人にお話ししたら、「面白そうだから、見せてください」と言われたんで、喜んで見せに行ったの。そうしたら、いっぺんに4冊も出せることになった。それまで、絵本を出したいと思っても出すことができなかったから、こんなに急に絵本が出せることになってビックリ。しかも、40年以上も子どもたちに読まれているなんて、とても驚いているのよ。
いやだいやだの絵本」シリーズは、お子さんのエピソードが物語のきっかけになっているんですね。
「いやだいやだの絵本」だけじゃないですよ。「めがねうさぎ」シリーズは息子がメガネをかけることになって、メガネに慣れてほしいという思いから生まれた作品ですし、『ルルちゃんのくつした』に出てくる「ルルちゃん」は娘をモデルにしています。子どもたちだけでなく、我が家で飼っていたうさぎの「うさんごろ」と「はんしろう」も絵本に登場しているでしょう(笑)。そんなんだから、子どもたちは、私の絵本に登場することを嫌がって、「いい子にしていないと、またママに本にされちゃいますよ!」って言っていたのよ。
絵本に登場できるなんて、嬉しいと思うのですが、お子さんとしてはきっと、恥ずかしさもあったのですね。せなさんご自身がモデルになった絵本もあるそうですが?
それは『あーんあん』ね。子どもたちは幼稚園に行っても泣かなかったけれど、私は幼稚園の頃、親が帰ってしまいひとりになると、寂しくなって、わーんと泣き出す子だったの。ひとしきり泣いて、泣き止むと園長先生が「さあ、けいこちゃんが泣き止んだから、みんなでバンザイをしましょう!」と言って、友達みんな「バンザーイ、バンザーイ」ってやるのが日常だった。あのときは、どうして涙が出るのか分からなかったけれど、大人になって絵本を作ることができたから、きっとこのためだったのかなって思ったわ。
『ねないこは わたし』の中には、せなさんの小さいころのエピソードもたくさん載っています。子どものころから、本が好きだったのですね。
子どものころ住んでいたのは、玄関から本棚がずーっと並んでいるような家だったんです。父親も母親も本を読むのが大好き。子ども心に、大人というのは本を読んでいるものだと思っていました(笑)。今、子どもの本離れが心配されているけれど、親が本好きだったら、子どもも本を読むようになりますよ。だって、我が家がそうでしたもの。兄弟みんな本好き、全員、本の匂いがしていたんだから。父はよく、新宿や神保町にある古本屋に連れて行ってくれた。だから、私はすぐに常連さんの仲間入り。学生になり一人で、古本屋に立ち寄れるようになると、「あんたが来ると思って、取っておいたよ」と古本屋のおじさんが奥から私の好きそうな本を出してくれるの。
せなさんの本棚を拝見させていただきましたが、すごく貴重な本がたくさんあって、圧倒されました。
両親から受け継いだ本もありますからね。それと、私は空襲で本がすべて焼失してしまうという経験をしたから、気に入った本は1冊では不安で、2冊、3冊と手元に取っておいているの。子どもに絵本を買うようになってからは、1度に3冊が基本です。息子用、娘用、そして私用。それでようやく安心できるの。
本だけでなく、紙もたくさん保管されていました。
「どんな紙を使っているんですか?」って聞かれることもあるけれど、私が使うのは、お店の包装紙や、封筒なんかなの。『ねないこだれだ』の女の子が来ているパジャマは、封筒の裏だし、『めがねうさぎ』の来ている緑の服は、行きつけの店の包み紙。特別な紙なんか使わなくても描けるのが、私の貼り絵の特徴。でも、描こうと思ったときに、紙がないと困るから、いただいた紙は全部大切に保管しているのよ。
せなさんの絵をよく見ると、はさみを使って切っているところと、手を使っているところがありますよね。どういう違いで切り方を選んでいるんですか?
つるっとした物を描くときは、はさみを使います。もじゃもじゃしたものを描くときは、手で切ることが多いのね。おばけは基本はさみだけど、「ぼくはもじゃもじゃのおばけだ」というときは、手でちぎることもあるのよ。
何を描くかによって、使う紙や切り方など変えているのですね。本棚のところにスケッチブックも沢山保管されていました。貼り絵のタッチとは違う写実的なスケッチが多いのが印象的でした。
スケッチは子どものころから大好きでしたからね。旅行に行くとき、いつも持って行って描くんですよ。子どもたちの姿も描いたし、旦那さんの絵も描いたし、いろいろ描きましたね。
スケッチの中に、寄席の様子が描かれているのがありました。せなさんの旦那さんは落語家さんだったんですよね。
そうよ。
せなさんは結婚願望があまりなかったけれど、ご主人がせなさんのことを気に入られて「気がついたら、結婚の話がどんどん進んでいた」というエピソードがとても面白かったです。
私は絵を描くことを一生の仕事にと、仕事一筋でやってきましたからね。でも、主人が大変せっかちな人だったから、あれよあれよという間に結婚していたのよ(笑)。
ご主人はどんな方でしたか?
大変優しい人でした。私が絵を描くのを邪魔しないように、子育ても手伝ってくれましたよ。主人が家で落語の稽古をつけることもあったから、私も聞くともなしに落語が耳に入ってきて、それが、絵本のヒントになったことも多いんですよ。
『ひとつめのくに』や『ばけものづかい』など、落語の題材をモチーフにしている作品も描かれていますよね。
落語のおはなしは、ハッピーエンドばかりじゃないでしょう。だから、私の絵本と相性が良かったのかもしれないわね。
せなさんが絵本作家を目指すきっかけを作ったのは、お父さんが読んでくれた武井武雄さんの『おもちゃ箱』だということが『ねないこはわたし』には描かれています。せなさんのお父さんはどんな方だったのですか?
父はとても穏やかな人でしたね。そして、多趣味な人。山が好きで、動物が好きで、映画が好き。もちろん本も……。私の趣味はみんな父から受け継いでいるんです。あと、酒飲みの血もね(笑)。歌も好きで、外国のオペラなんかもよく歌っていましたよ。私も若いころはよくオペラを口ずさみながら絵を描いてものです。
とてもオシャレなご家庭だったのですね。
そうかしら? 元は武士の家系だったらしく、母はとてもしつけに厳しい人だった。私は長女だったから、ずいぶん窮屈な思いをしたものよ。
当時は、立派なお嫁さんになることがお母さんの希望だったんですね。でも、せなさんは絵を描く仕事をしたかったから、高校を出てすぐに働きはじめて、武井武雄さんの弟子になった……。そのあたりのエピソードも『ねないこはわたし』に出てきていて、当時のパワーあふれるせなさんの姿を感じました。
武井武雄先生のところへは、本当に若さと勇気だけで飛び込んでいったと今でも思うわ。先生はとても厳しい方でしたから、絵を見せに行っても一度もほめられることなんかなかったのよ。「デッサンが良くない」「形が崩れている」ってね。でも、日本一の先生に習っているのだからと、落ち込む気持ちを奮い立たせて通い続けたの。
そうして、絵本作家になり第一線で活躍し続けているせなさん。『ねないこわたし』を通して、せなさんのご家族のこと、作品のこと、本当にいろいろなことを知ることができました。
私もこの本を作ることになって、父や母、旦那さんのことを改めて思い出して、懐かしくなったの。自分のことを振り返るきっかけになったこの本を多くの人に読んでもらえたら、嬉しいわね。
絵本ナビでも、たくさんプッシュしていきたいと思います。最後に、絵本ナビユーザーさんへメッセージをお願いします。
私は母の望みを裏切って、絵描きになりました。その背景には父の影響や、私のことをいつも応援してくれていた、お手伝いの姉やの存在があったからだと思います。もし、あなたのお子さんが、あなたの考えと違う道を歩もうとした場合、子どもがやりたいことだったらね、どんどん進むように背中を押してあげてください。そうすれば、私のようにいい先生と、いい旦那さんと、いい子どもたちと、いい絵本と、いい読者の方と出会えて、そして、おばけにも出会えちゃうかもしれませんよ(笑)。
ありがとうございました。
取材後、特別におばけを作ってもらいました。
『ねないこはわたし』の中にも制作過程が載っていましすが、目の前で見るとやっぱりすごい!
あっという間に、おばけが姿を現しました。
文・編集/木村春子
写真/所靖子