”人間と話してはならない” その固い掟があるせいで、人間は気づいていない。 言葉によって心を通わせ、物語を語ることのできる存在は、人間だけではないということに。 動物たちはもちろん、「レッド」のような木もまた、それができるということに。
「木のジョークは笑えない。でも、物語はお手のものだ」
アメリカのとある町、二軒の家のあいだに、樹齢216歳におよぶレッドオークの樹がそびえている。 動物たちや他の木々は、彼を「レッド」と呼ぶ。 でも、その町の人間たちは、大昔にその老木をこう名づけていた。 「願いごとの樹」、と。
皮肉屋で悲観的なカラスの「ボンゴ」をはじめとするたくさんの友だちに囲まれて、レッドは平穏に日々を暮らしていた。
そんなあるとき、レッドのそばに建つ家に、サマールという名の少女が越してくる。
「サマールはときおり、多くのことを見すぎてしまった者のような表情を見せる。世界がしずまるのを待っているように」
それを境に、町に不安な空気がただよった。 子どもたちは、サマールをいじめた。 だれかが、サマールの家に生卵を投げつけた。 そして、おとながこう叫んだ。
「イスラム教徒、出ていけ!」
「願いごとの樹」であるレッドに、「友だちがほしい」と願ったサマール。 そんな彼女に、100年以上前に出会ったとある少女の姿を重ねて、レッドは考える。
「観察者であることをやめたら、どうなるだろう? 物語を演じる側になるのは、どんな気分だろう? そして世界を、ほんの少しだけ、よくすることができるとしたら?」
そしてレッドは、どうしても語らなくてはならない物語のために、守りつづけてきた掟をやぶる——
米国ニューベリー賞受賞作家が描く、普遍的な愛と希望にあふれた傑作ファンタジー! あそこもステキだし、ここもたのしいし!と、人に語りたくなる魅力をたくさん備えた物語です。
フクロネズミやスカンクといった、レッドを寝床とする動物達の、種ごとに異なる文化をユニークに描き出しているところ! 性別も年齢も種族も性格もぜんぶ違うのに親友同士という、レッドとボンゴの会話劇! そしてなにより、「願いごとの樹」として人々の営みを見守ってきた老木レッドの、希望にあふれた哲学!
「ボンゴとわたしは、『意見がちがう』という点で意見が一致する。それでいい。どのみち、ふたりはちがうのだから」
「空を飛ぶのはどんな気分だろう? 楽しいことは、うたがう余地がない。とはいえ、わたしは自分のいちばん細い根っこの一本でさえ、そのよろこびと交換したいとは思わない。ありのままの自分を愛せるのは、すばらしい才能なのだ」
もしレッドと同じように、老いを重ねるごとに世界を見る目が希望に満ちていくとしたら、どんなにステキなことでしょう。 読み進めていくうち、「自分もこうやって歳を取りたい!」とつよく願っていました。
そして本書は、多様性について人々が真剣に議論し、国境を越えて手をとりあうことへの意識や価値観が変わりはじめた今、この時だからこそ、読むべき作品でもあります。
なぜ、レッドはかつて出会った少女をサマールに重ねたのか? 本書の終盤でその意味が明かされたとき、時代性に富む強いメッセージが本書のいたるところに込められていることに改めて気づかされます。
”人間と話してはならない” その掟を破ってまで、レッドがサマールに伝えたかった物語とは? そして、レッドにとって最後の「願いの日」に人々が託した、共通の「願い」とは? あした世界を見る目をすこし明るくしてくれる、つよい魔法のかかったオススメの一冊です。
(堀井拓馬 小説家)
私はレッド。樹齢216年の木で、この物語の語り手だ。町の人たちは年に一度、願いごとを書いた布や紙を私の枝に結びつける。長年、私はこの町を──なかでも木陰に建った家にやってくる移民たちを見守ってきた。この家に最近越してきたのは、イスラム教徒の少女サマール。ときどき私の根元にすわり、木の洞に住む動物たちと過ごしている。 ある晩、サマールは「友だちがほしい」と願いをかけた。 私を切り倒す話が持ちあがったとき、なんとか人間の役に立ちたいという気持ちがわいてきた。親友のカラスや動物たちが止めるのもきかず、私はサマールたちにむかって語りはじめた。昔、この町にやってきたある女の子の物語を。そこから波紋がひろがって……。
米国ニューベリー賞受賞作家による、思いやり、友情、希望の物語。
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