「いそがなくてもいいんだよ」の一行は「南の絵本」という詩の一節です。
−ゆっくり歩いて行けば 明日には間に合わなくても 来世の村に辿りつくだろう −いそがなくてもいいんだよ 種をまく人のあるく速度で あるいてゆけばいい
そうですよね。自然は、いそがない。いそぐのは人間だけです。 この詩人は、一貫してそう唄っています。
「アランブラ宮の壁の」という詩もすてきです。
アランブラ宮の壁の いりくんだつるくさのように わたしは迷うことが好きだ 出口から入って入り口をさがすことも
タイトルにもなっている「いそがなくてもいいんだよ」は、「南の絵本」という詩の一節です。
毎日時間に追われて忙しく生活している現代人にとってはとても身につまされるし、ハッとする言葉かもしれません。
私もこのタイトルに誘われてこの詩集を読んでみたようなところがあります。六年生の卒業に向けて贈りたい詩を探していたこともありました。
岸田衿子さんは浅間山麓に住まわれて自然の中で生活をされていたそうです。歩くようなテンポのゆったりとした時間が感じられる詩が多いのもそんな暮らしから紡ぎだされたものなんでしょうね。
この詩の後で『詩のこころを読む』という茨木のり子さんの本を読み、そこにも岸田さんの暮らしぶりや人となりが描かれていたので、岸田さんの詩の背景にあるものが納得できる気がしました。
詩は短くても一つの切り取られた世界があるし、細切れの時間を利用しながら読むことができるのも魅力です。
子どもと一緒に詩の世界も広げていけたらいいなあと思っています。
書き忘れていましたが、岸田さんの詩を読むと「ああここはこんな風に言葉にする」「こんな風景を見ていんだ」と、自分にはないものがあり「やられた」という気持ちになりました。そのやられたという気持ちも負けたというような気持ちではなく、そういう感じ方もあるという心地良いものなのではあるのですが。 (はなびやさん 40代・ママ 男の子9歳)
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