主人公である男の子の周りで起こっていることには言葉が存在しません。それにも関わらず物語は頭の中で「声」が聞こえてくるという展開で進んでいきます。そこには私たちが普段指し示す「言葉」というものはなく、「言葉」のかわりとなっているのが、身振りや手振り・表情や空気なのです。
いつも当たり前と思っている周囲の事柄。
それに少しの注意を払うだけで、いつもと違った表情を垣間見ることが出来ます。散歩した田んぼ道。晴れた空の下で出くわす草木…などその世界には自然に触れたときに見える場合が多いです。可視できるものよりも不可視的なものの方が大切なのだ。自分の中で「きこえる」それは何なのでしょうか。
目に見えなくても、耳に聞こえなくても「見えるもの」「聞こえるもの」といったイメージし考えることの楽しさ。それは子どもの頃にすでに経験していた世界であった気がします。
大人になった今、そして近代以降、合理性を求めがちになってきている現代人が乏しくなってきたイメージする能力。その一因として、普段から「きこえる」声に耳を傾けていないからかもしれません。量的世界観>質的世界観の図式が知らずのうちに出来上がってしまっていたのです。 質的世界観であるちょっといつもと違った濃い世界を味わうために人間の言葉が通じない生き物−動物や植物・自然の生命を見て今どんなことを考えているのかなと想像したり、家族との関わりにおいても何を欲しているのかな?などと思い巡らせイメージすることで何をしているわけではなくとも「楽しい」「面白い」生活が送ることが出来るかもしれません。
そう思うとこれから意識的に私もこの主人公のように、「きこえる」生活を感じたくさせる一冊です。