あめやのとおべえさんのところに真夜中になると1文銭を持って飴玉をひとつ買いに来る女の人がいました。6日目まではお金を持って来ましたが、7日目にはお金がなくなり、しかたなく着物の片袖をちぎり、それをお金の代わりにようやく飴玉を手にいれました。
女の人はゆうれいでした。
でも、とおべえさんはその事をまだ気付きません。
しかし、読者は題名から察することができます。それもなんのためなのかも含めて。
死して尚、子育てをする女性を思うと、読み進むうち、涙がにじんできました。
おなかの大きなまま息絶え、お墓の土の中で赤ちゃんを産み落とし、そのまま成仏ができるわけがありません。
弔ってくれた山寺のおしょうさんはお墓の中に、産着と冥土の旅費にと六文を一緒に埋めてあげたそうです。
いつから赤ちゃんを産んだまま放置する事件が多発するような時代になってしまったのでしょう。
物の豊かさや便利さを母性と引き換えてしまいましたか?
小学校高学年くらいなら、このゆうれいをこわいと思わず、後ろ髪を引かれる深い母の愛を感じてくれるでしょうか。