プロフィールには書いていないけれど、ぼくには前妻との間に別れた娘がいる。
その時娘は4才だった。
去年の春、実家の母親からその娘がこの春から大学に通うことになったと聞かされていた。わざわざぼくの実家に前妻と共にあいさつに来たらしい。大学近くの部屋を探しに来たついでだとのことだった。
その年の夏、ぼくの携帯に見知らぬ番号から着信があった。娘からだった。
電話口で自分の名前を名乗ったあと、彼女はこう切り出してきた。
「妹がいるって聞いた。妹に会いたい。」
さぞかし勇気がいったであろうその重い言葉に、ひとりっ子の母子家庭で育った彼女の孤独を垣間見た思いがした。ぼくのことは恨んじゃいないし、そもそもあまり記憶がないという彼女の、たったひとつのぼくに対する願いが、妹に会わせてほしいということだった。
「ひとつのねがい」この絵本はねがいを持つことの尊さや、それゆえにかかえこむ孤独。その孤独を支え超えていける勇気を持たせてくれるのもまた、ねがい(夢と言ってしまおう)の本質だと考えさせられました。
作者のはまだ ひろすけさんは一本の老朽化したがい灯に老いと絶望。その先の安寧。老いたがゆえにじつはぎらつく野望。そうか、本当は中身はぎらぎらしてたんだね。日々の営みの中で、誰からもかえりみられずひっそりと暗い夜道を照らして人生をまっとうすることのしあわせを投影したのでしょうか。
また、特筆すべきは、しまだ・しほさんの線と色使いです。絶望に叩き込まれる暗転の黒。それまでがやさしくてあたたかなタッチだっただけに、あの黒はだれもがビクッてなるでしょう。そしてそこから夢がかなったときの歓喜の黄色の爆発。無垢な少年の輝く笑顔と唯一がい灯の存在を認める父親の暖かく丸い
背中の線。天に召されたがい灯のしあわせの黄色。白く優雅な蛾。普遍的なテーマのお話に、しまださんの絵が乗ったことで、古臭く説教っぽくなく、かといって子供じみた擬人化もせず、ノスタルジーはそのままという、ある意味決して子供向けではない、全人的境地の作品にしたのだと思います。
ぜひ多くの人にこの作品が響くことを願います。
去年の大晦日、現在の妻の協力のおかげで実家において、娘たちを(全部で三姉妹)会わせてあげることができました。妻の寛容さと母親の偉大さに感謝しきりです。