宮城県・石巻市立大川小学校。東日本大震災で数多くの悲惨な悲しみの中でも、もっとも大きな悲しみが起こった場所として記憶されています。
全校児童108人のこの学校で実に74人の子どもたちが津波の犠牲になりました。10名の先生も命を亡くされています。
どうしてこの小学校でこれほどのたくさんの犠牲者が出たのか。遺族が一番知りたいことです。
津波は天災だから恨んでも恨んでも答えは出ません。でも、子どもたちは何故逃げ遅れて津波の犠牲になったのか。
本当のことがわかったとしても子どもたちの命は戻ってきませんが、そのことがいつか来るかもしれない災害の防止になるかもしれない。
そのことは大事なことです。
この絵本は犠牲となった子どもたちのうちの8人のお母さんの取り組みを紹介したものです。
あの日に何があったのかを求めるものではありません。
命を亡くした子どもたちの笑顔をひまわりの花になぞられた取り組みです。
それは一人のお母さんの「おかの上の花だんに、ひまわりをうえようよ!」という一言がきっかけでした。そして、次々とお母さんが集まって、夏にはたくさんの花が咲きます。
その取り組みが新聞に紹介されました。葉方丹さんがそれを読んで、石巻まで出かけます。
そこで出会ったお母さんたち。
お母さんの話から浮かんでくる子どもたちの笑顔。
初め、葉方さんは「絵本になればいいな」は、いつしか、ひまわりの花のように、一冊の絵本として出版されたのです。
葉方さんを動かしたものはお母さんたちの子どもたちについての手紙だったといいます。あるいは、その手紙を書かせたものは、亡くなった子どもたちの思いだったのかもしれません。
ぼくたちを、わたしたちを、忘れないで。
亡くなった子どもたちのそんな思いが、ひまわりの花になり、一冊の絵本になったような気がします。
大川小学校は東日本大震災のつらい傷跡の代名詞のようになりました。
しかし、忘れないことが犠牲となった子どもたちには一番大切なことではないでしょうか。
いつまでも、咲きつづけてほしいものです。