戦争の悲惨さを土台にしていますが、「一つだけ」の重さを痛感させる絵本だと思いました。
食料にも不自由する生活の中、お母さんは子どもに「一つだけ」と言い聞かせるようにおかずを与えます。子どもは、「一つだけ」と言えばものがもらえるという知恵をつけました。とても悲しいことですが、時代がそうだったと言えば済むことでしょうか?
戦争の悲惨さ、物資がなくなり、家が焼かれ、体の弱いお父さんさえも戦場に行かなくてはなりません。出征するお父さんを見送るために駅に向かう途中、「一つだけ」、「一つだけ」とだだをこねて貴重なおにぎりを全部食べてしまったゆう子ちゃん。列車にまもなく乗らねばならない時に、再び「一つだけちょうだい」とむずがるゆう子ちゃんにお父さんは駅の隅に咲いていた一輪のコスモスを与えます。それで喜ぶゆう子ちゃんは象徴的。
10年後のコスモスが満開のゆみ子ちゃんの家、お父さんは帰って来なかったし、ゆみ子ちゃんにお父さんの記憶はありません。
これが戦争なのだろうか。
この絵本で、印象的なのはゆみ子ちゃんの家族が無色(白)で描かれていること。他にもあえて無色化されて組み込まれた人たちがいる。これはとても象徴的です。無色の方が目立つということ、重さがあるということを知りました。
ところで、この話は戦争だったから成り立つのでしょうか?
子どもたちに「一つだけ」の意味を如何に伝えるか?
戦争という時代に押しつけてしまえば済むとしたら、親にとっては過去形、子どもにとっては別世界です。
ものあふれの時代だと思っていたら、今の日本では職を失い経済事情の厳しい中で暮らしている人たちが増えています。
自分の生活の中に「一つだけ」に通じることって無縁ではないかもしれません。
あって当たり前の感覚から、ものの大事さについて考えることを子どもに伝えることも重要だと感じています。