子どもの頃大好きな本でした。花の美しさと、人知れず我慢した時に、花さき山だけはわかっていてくれるという安心感がとても心に響いたように思います。
今日、市の図書館のお話し会で、この大型絵本の読み聞かせを見ました。
黒いバックに浮かび上がるような静けさが迫ってきて、やはりすごい絵本でした。
花が一面に咲く場面の美しさには目を見張るものがあります。見ていた子ども達からも「きれい・・・」というため息が洩れました。
でも、大人になり、おかあさんになってから見ると、感動ではない発見をしてしまいました。
『花さき山』でうたっている優しさには、自己犠牲がついてまわるのです。
ただ、人知れず優しいことをしたら花は咲きました、ではいけなかったのでしょうか。
自己犠牲の伴わない優しさは、たいした優しさではないのでしょうか。
また、晴れ着を我慢したあやに対して、“親はどんなにありがたかったか”で、いいのでしょうか。
おっぱいを占領している弟を膝に乗せたおかあさんは、どうして我慢している兄に背を向けているのでしょうか。どうして兄を見つめてあげないのでしょうか。
親ならば、「我慢してくれてありがとう」ではなくて、「あなたの辛い気持ちは、誰が知らなくても、おかあさんだけは十分にわかっているよ」という表現をして欲しかったです。文章に表さなくても、せめて絵の中だけでも。
そんな発見をしてしまったので、今の私にとっては、子どもにあまり読み聞かせたくはない本となってしまいました。