普及の名作であり、the大人が読む絵本というイメージもある作品。紹介文にある
『これははひょっとすると大人のための絵本かもしれないが、真に大人のための絵本ならば子供もまた楽しむことができるよう。それが絵本の本質であるはずだ。そしてこの作品は絵本の本質を捉えている』
という言葉があります。
ちょっとわからないけど、以前読んだ絵本『ぼくを探しに』の後書きにも似たような事が書いてあるのを思い出しました。
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『逆に子供にはこの絵本が示しているような子供の言葉では言い難い複雑な世界が必要なのではないか。その世界を言い表す言葉を探す事、これも子供にとってはmissing pieceを探すことに当たる』
ぼくを探しに 倉橋由美子訳 あとがき
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『100万回生きたねこ』この絵本は良心的な人・非道な人、関係なくねこは自分以外を好きになれず何度も何度も”生まれては死んで”を繰り返してきて、ある日、1匹の猫に出会いはじめて自分以外の他者を愛することができたねこのお話。
誰かを愛することができず100万回死んでは生き返ったねこが、初めて愛する猫が現れて、初めて愛する猫が死んで、死を悲しみ、自分も死に、生き返ることがなかった。
誰も愛せなかったねこは、100万回生きてても死んでるようなものだったのかな??
鬼滅の刃の煉獄さんのことばに
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”老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ死に、だからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ”
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という言葉があるけど、ねこは
生きること=死ぬことの尊さを知らなかったから本当の意味で死ねずにいたのかもしれない。
生きること、死ぬことの尊さを知れたから成仏という意味で死ねたんじゃないかな。そう考えたらねこは実体のある幽霊みたいなものだったのかな、と考えたし、ハッピーエンドとは言い切れないけど良いお話なのではないかな????
あまり決定的な答えがある作品ではないので
解釈は人それぞれ違いそうでいろんな人の感想をみるのが楽しそうな作品です。
佐野洋子先生は超超有名な絵本作家先生なので他作品もまた見てみたいと思います??