●「トキあんちゃん」のモデルは、学校で乱暴者のレッテルを貼られた子です。
───おはなしの中には、野球チームのリーダーのヤッちゃんや、多数決のしくみをうまく使って、野球チームから広場を使う権利を取り返すケンちゃんなど、子どもらしいキャラクターが登場します。中でも、6年生の「トキあんちゃん」は、重要なキャラクター。「トキあんちゃん」にはモデルがいらっしゃるのですか?
私が子ども会の活動をしているときに出会った、ケンちゃんという男の子がモデルです。ケンちゃんは、当時、小学校6年生だったのですが、校長先生が全校生徒に「ケンちゃんと一緒に遊ばないように」と言うくらい、乱暴者で、いたずらばかりする子だったそうです。ところが、どういうわけか、ケンちゃんは毎回、子ども会の活動をのぞきに来るんですよ。
子ども会なんていうのは、小学校低学年の子どもたちばかりが参加するものですから、高学年の子は、子ども会なんかしゃらくさいと、大人の遊び場に顔を出す子が多いんです。ケンちゃんは6年生の中でもとりわけ屈強で、大人顔負けの体格を持つ子どもでした。
───ケンちゃんは子ども会の活動にやってきて何をしていたのですか?
特に何もしないんです。でも、きっと子ども会の活動に関心があるんだろうと思って、私はそっと見守っていました。あるとき、子ども会で幻燈会をすることになったんです。当時は家にテレビなんかありませんから、小さい子どもにとっては一大イベントです。私は、子どもたちが来る前に会場の準備をしていました。そうしたら、フラッとケンちゃんがやってきたんです。ちょうど、幻燈を映す幕の準備をしていた私は、ケンちゃんがそばを通ったとき、わざと、幕を片っぽ落としました。そして、「ケンちゃん、すまんけど、そっちを持っていてくれる?」と聞いたんです。
───ケンちゃんはどうしたのですか?
だまーって、幕の端をもって、準備を手伝ってくれました。準備が終わると、私はもう一度ケンちゃんに言ったんです。「これから、小さい子が会場に入ってくるけど、いつも靴を並べずにグチャグチャにするから、ケンちゃんは入り口で履物をきちんと並べるよう、見張っててくれないか」って。結局ケンちゃんは、幻燈会が終わるまで、ずっと会場の入り口でがんばってくれたんです。小さい子たちは、恰幅のいいケンちゃんがいるもんだから、ビックリしてしまって、みんな静かに靴を並べて会場に入ってきましたっけ。それから、ケンちゃんは私たちの仲間になって、一緒に子ども会の活動を手伝ってくれるようになりました。
───まさに、トキあんちゃんのような存在ですね。
小学校の先生からは煙たがられていたようだけど、ケンちゃんの実行力と、良いと思っていることはやる決断力は本当に素晴らしかった。そして私は、ケンちゃんをはじめ、セツルメント活動で出会った子どもたちから、子どもというのは、大人の行動をとてもよく見ている、そして、きちんと向き合って、通じ合えば、大人が言葉で言わなくても、自分たちで考え、しっかりと良い方向に行くものだということを教えてもらいました。
───「きちんと向き合う」ということを、かこさんは『こどものとうひょう おとなのせんきょ』を描くことでも、実行しているように思いました。
今までも何度かお話させていただいていますが、前の日本の戦争(第二次世界大戦)のときも、いろいろな政治の動きがあって、結果、国民の大多数がその戦争をやれという、多数決で決まったように思うのです。もちろん、反対をする少数派の方たちはいましたが、そういった方たちはみんな牢屋に入れられてしまった。
しかし、日本が敗戦したとき、今まで戦争に賛成していた大人たちが手のひらを返したように、みな「自分は戦争に反対だった」と言い出したんです。自分たちの犯した過ちを反省することも、そこから学ぼうという態度も、ほとんど見られませんでした。それが非常に悲しかったんです。私も当時19歳で大人の端くれでしたから、自分も同罪であると思っています。それで、何とかしてこの罪を償わなければならないと思い、子どもさんには私のような過ちを犯してほしくないと、絵本を描いているのです。
ただ、口先で言うことはとても簡単です。実現しなければ、何も役に立ちませんから、戦後70年も経って、お前は何をやっていたのかと、あのとき亡くなった仲間に問われれば、今でも恥ずかしい限りなのです。
───70年も、戦争のことを悔い、その思いを持ち続けて作品を発表されている、かこさんのような存在は非常に稀有だと思います。
もちろん、絵本を描かれる方の思いは自由ですから、どんな立場で作品を生み出されても良いんです。ただ、ぼく自身は戦争に対する反省と、悔いから、子どもさんたちがきちんと学び、正しい判断ができるようになるよう、絵本を作らせてもらっているのです。そうでなければ、何のために生きているか、昭和20年のあのときに、なぜ残されたのか、自分自身への言い訳が立たないのです。