山があったらトンネルを掘り、池があったら橋を架ける…。色んな問題を軽々と解決して、ながーい線路をつなげていく絵本『せんろはつづく』と続編の『せんろはつづく まだつづく』。まるで自分でも線路をつなげて遠くへいくことができるような人気シリーズです。
最新作『せんろはつづく どこまでつづく』では、なんと列車がいろんな車両とつながっていきます。新幹線、貨物列車、ディーゼル車とつながって、線路を進んでいく様子はまさに夢のよう!
この作品がどのようにできたのか、作者である鈴木まもるさんにお話を聞きくため、下田にあるアトリエにお邪魔しました。鳥の巣博士としても有名な鈴木さんのアトリエは、天井近くまで鳥の巣が並べられていて、まるで鳥の巣博物館のよう。大小さまざまな巣に囲まれながらインタビューのスタートです。
- せんろはつづく どこまでつづく
- 作・絵:鈴木 まもる
- 出版社:金の星社
線路と線路をつないだら、列車をつなげよう。
坂道がのぼれないときは、ディーゼル機関車につなげよう。
新幹線も貨物列車もブルートレインも、みんなつなげて走らせよう。
いろいろな列車が登場、親子で一緒に楽しめる絵本。
●線路の多様化をしたから、次は列車の多様化だと思いつきました。
─── まず、『せんろはつづく どこまでつづく』の生まれたきっかけを伺いたいのですが、前2作は奥様である竹下文子さんが文章を書かれてますよね。今回、文章も絵も鈴木さんとなっているのが気になったのですが…。
実は最初の『せんろはつづく』は、僕が伊豆急行の開通するまでの話を描きたいと思ったのがきっかけなんです。そのストーリー展開で悩んでいるときに奥さんに相談したら、「そういうリアルな話も良いけれど、子ども達がどんどん線路を作っていく話はどうかしら?」って文章を書いてくれて、それがすごく面白かったことから生まれたんです。
おかげ様で1作目がすごく人気になって、出版社から続編の依頼が来ました。そのときは悩みましたね…。単純に線路を延ばしていくだけではない、よりインパクトのある展開にするにはどうすればいいのか…と2人で何度も話し合って『せんろはつづく まだつづく』が生まれました。そうしたらそれも人気になって、出版社から「さらに続編を」と頼まれて…(笑)。
正直、僕と奥さんの間では「もうできないよね…」って一度はあきらめたんです。
─── そうだったんですか?
はい。2作で線路工事はやりつくしてしまったので…。それからしばらくは『せんろはつづく』から離れていたんですが、あるとき、僕の中で「そうだ、今までは線路の多様化だったから、今度は車両を多様化させれば良いんだ!」って思いついたんです。そこから「速さを求めるには新幹線だよな…。坂道はディーゼル車で上げて…。夜になったらブルートレインも必要だから、夜の場面を入れて…」とラフ画(下絵)が一気に出来上がったんです。それを奥さんに見せたら、「そこまでできているなら、あなたがやっていいんじゃない?」って言われて(笑)。僕1人で最後までやることになりました。
─── そんな経緯があったんですね。『せんろはつづく どこまでつづく』の中で、列車が走っている姿の美しさに圧倒されて、とても好きなのですが、やはり見せ方にはこだわられてるのでしょうか?
僕は絵描きなので、やっぱり「この場面が描きたい」という欲求があるんですよね。
この作品では、夕焼けと夜のシーンがお気に入りなんです。電車って雪国や山の多い土地など、地域によって形や特性に違いがあるじゃないですか。リアルな電車の絵本を作るときは、そこを外してはいけないんですけど、この作品の電車はオモチャ的要素もあるんで、色んな車両がつながっていても、違和感なく受け入れられるかなって思ったんです。
この絵本のシリーズでは、きっとプラレールで遊びたくなるだろうな・・・って(笑)。うちの子がそうだったんですけど、絵本を見て、実際にやってみたくなって遊ぶ。でもある程度、遊びで満足すると、また絵本が見たくなる…という(笑)。色々楽しんでくれれば嬉しいです。
─── 男の子を持つママの永遠の謎として、「どうしてうちの息子はあんなにも電車に夢中になるのだろう…」というのがあるんですが…。
男の子が電車好きな理由は、「テリトリーを広げたい、テリトリーを守りたい」という、男性の持つ本能なんだと思うんですよ。それはもう、どうしようもないんです(笑)。
生物学的な話になってしまいますが、よそに土地を広げたいというのは、繁殖を考えた上でも種としての本能だと思うんです。乗り物、線路だけでなく、ショベルカーなどの働く車も、テリトリーを広げたり、守る行為として必要なもの。だから、乗り物からウルトラマン系にいくのも、テリトリーを守るヒーローになりたいという意味で同じなんです。
男の子は本能でそれらを求めているんですよ。
─── なるほど。本能なんですね。そういう風に考えたことがなかったので、すごく新鮮です!
もちろん、個体差もあると思いますが、僕はそうだと感じています。
●毎日描いていた育児絵日記から『みんなあかちゃんだった』が生まれました。
─── 実は私、『みんなあかちゃんだった』が大好きで、友達に赤ちゃんが生まれるとよくプレゼントしているんです。でも、最初はこれがあの“鳥の巣”の鈴木さんの作品と結びつかなくて・・・。
僕、作品によって絵柄を変えてしまうから…。読者の方にもよく「この作品も描かれていたんですね!」と驚かれることが多いんです(笑)。自分としては意識して変えているわけではないんですが、頭に浮かんだイメージを今までと違ったタッチになっていた…ってことは多々ありますね。
─── この作品や電車の絵本を見ると、ご自身の体験が作品に反映しているように思うのですが…。
それはやはり、関係していると思いますよ。この『みんなあかちゃんだった』は、息子が産まれたときに僕が描いていた絵日記が元になっているんですよ。…ほら、これです。
─── (一同)スゴイ! かわいいですね〜〜!
そうでしょう(笑)。僕、息子が産まれたときもう本当に可愛くてしょうがなくて、ただただ毎日の出来事を描いていたんですよ。それを5,6歳くらいまで続けて、人が来る度に見せていたら、みんな「カワイイ!」っていうので、絵本にしてみようかなって(笑)。…とてもシンプルな動機だったんです。
─── 育児って大変だけど、赤ちゃんをジーっと観察するとすっごく面白いんですよね、そのことが言葉じゃなくて形に(笑)、溢れんばかりの愛情として描かれているので、もうどうしようもなくプレゼントしたくなるんです(笑)。
そういってもらえると嬉しいですね。僕が子育てしていた頃は、育児書って言うと、「あれはダメ、コレはダメ」っていうのが多かったので、「こんなんでもいいんだよ」っていうのを見せたかったというのもありましたね。特に絵本を作ろうと考えていたわけではなく、日々描いていたものから絵本になっていったんです。
ただ、この頃からかな…、自分の中で「絵本を作る」と意識するよりも、好きでやり続けていったものが、最終的に絵本という形になるのが自然だなと思い始めましたね。
─── そもそも、絵本作家になるきっかけは何だったのでしょうか?
小さい頃から本が好きだったので、最初はマンガ家になりたいと思っていたんです。高校生のときに、実際に出版社に持ち込みに行ったこともあるんですよ。でも、マンガ家になるには、毎週、絵とストーリーを考えなければいけなくて…。「僕はじっくり作品を作りたいんだ」ってマンガ家はやめました。その次に考えたのが「画家」。実際に画廊や展覧会を見たのですが、高い値段で買われて、どこかの社長室に飾られているよりは、もっと多くの人(子ども)の手に渡る形のものが作りたいと思い、やめました。それと僕、絵を描くのは好きですが、売るのはあまり好きじゃないんですよ(笑)。原画も極力手元に置いておきたい。それらの経験から自然に「絵本」という形になりました。
─── 鈴木さんのやりたいことを突き詰めていった先に絵本があったんですね。
そうなんです。自然に行き着きました。
僕が収集している鳥の巣も、絵本を描くのと同じ「好き」という気持ちで自然に増えていったものなんです。
ただ、鳥の巣を集めるようになった最初の頃は、絵本と鳥の巣が「同じ」だということが分かりませんでした。