
自然の恵みゆたかな、福島県北東部の高原の村-飯舘村から車で1時間ほど山を下った伊達市にある仮設住宅に、おばあちゃんたちは暮らしています。 放射能にふるさとの村を追われたのです。 村では広い敷地に何世代も住んでいましたが、ここは村の1軒分ほどの敷地に、約100軒もの仮設住宅が建ち並んでいます。 長屋形式で、板で仕切っただけの部屋では、「テレビの音がうるさい」といった不満も……。 でも、仮設住宅の暮らしに慣れるにつれて、近所付き合いも生まれ、友だちもでき、ここは「第二のふるさと」になってきました。 その一方で、春の山菜や秋のキノコ、一年中、いのちをつないでくれた味噌など、自然の恵みに生かされた村、「帰りたい村」への思いもつのります。 そして、避難から6年、避難指示は解除され、仮設住宅から出ていく日が近づいています。 おばあちゃんたちは、いま、「二つのふるさと」の間でゆれています。

東日本大震災の後、仮設住宅で暮らす人々の様子を切り取る一作です。
慣れ親しんだ場所を離れ、新しい集落が作られる。
それだけでも肉体的・精神的負担は多くあったことでしょう。
けれど、そこから立ち退いていくことも考えなくてはならない。
何度も何度も親しくなった人たちと別れていかなくてはならない辛さが染み出してきます。
いつ帰れるか分からない、自分の家。
そこにもし帰れたとしても、子供達は一緒ではない。
もう昔と「同じ」には戻れない。
戻れないのは仕方ない、村に子供達が戻るのは心配でしかない。
けれど一方で、昔と同じになれたら・・・と心の何処かで願う哀しさ。
やりきれない気持ちがあふれ出ているのに、それでも生きていかなければならない。
その力強い気持ちもどこかに感じる。
どれだけの時が経とうと、日本全体が忘れてはいけない苦しみなのだと思いました。 (hime59153さん 40代・ママ 男の子8歳)
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