大統領が叫び、今まさに戦争が始まろうとしている。その様子が街にうつし出される。けれど「ぼく」は戦争に行かない。行くのは、ロボットの兵隊だ。ロボットはためらうことなく敵を倒していき、その倒した敵の数がテレビから流れてくる。
戦争が始まったとしても、ぼくたちは死なない。部屋でゲームをしたり、街で踊ったり歌ったりしていられる。けれど、ロボットが何をしているのか、そこで何が起きているのか、本当はぼくたちはうっすらと知っている。
もう間もなく自分の国が大勝利をおさめようとしていたその時。突然テレビに本当の戦争の姿がうつった。そこには……。
絵本の中に描かれているのは、過去に起こったかもしれない戦争でも、すでに終わった戦争でもない。今現在起きている戦争であり、近未来にたどっていくであろう私たちの現実だ。お金があれば戦場にロボットを送ることができる。知りたくない事から目を逸らし、ただ勝利を願うことができる。それは何を意味しているのか。
非戦と平和への願いを込めて、詩人・内田麟太郎さんが描く近未来。私たちは人だ。敵か味方に単純化し、殺すことをためらわないロボットではない。その真摯な叫びを受けて描くnakabanさんの「ひとのなみだ」。それは心細く、悲しく、そして心の拠り所となる涙。
私たち読者は絵本とまっすぐに向き合いながら、身体の中に色々な思いを駆け巡らせていかなければならないのだろう。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
だいとうりょうが さけぶ せんそうが はじまる でも ぼくは いかない いくのは ロボットのへいたい
ロボットの兵隊が戦争に行く世界で、ぼくたちは安心して暮らしているはずだった。 非戦と平和への願いを込めて、詩人・内田麟太郎が描く近未来とは──。
言葉が突き刺さってきました。
絵が覆いかぶさってきました。
ウクライナで起こっていること、パレスチナで起こっていること、それらが派生して拡大化している戦争と、傍観するだけの世界を痛烈に嘲笑しているような、ニヒルさを感じました。
戦場で戦っているのは、本当にロボットでしょうか。
ロボットにならないと、人を殺せないのではないでしょうか。
ドローンや無人機や、AI兵器に戦いを代行させることはゲームでしょうか。
それにしては代償が大きすぎるように思います。
伝えられる報道は事実でしょうか。
作られたバーチャル・リアリティに振り回されてはいないのでしょうか。
でも、人が死に、町は破壊され、環境は急速に劣悪化され、地球が終末に向かおうとしている中で。恐ろしいほどに独善化している国の姿を揶揄しているようにしか思えません。
恐ろしい絵本です。
真っ向から挑みかかってくる絵本です。
目を背けないで、向き合って欲しい絵本です。
平和を望むならば、ロボットになってはいけません。 (ヒラP21さん 70代以上・その他の方 )
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