「おっぱい」なんて、いつから口にしていないのだろう。
吸っていたとか飲んでいたとかではなく、「おっぱい」という言葉をである。
成長すれば、「乳房」とか「バスト」とかに変わってしまう。
「おっぱい」の語源を調べると、いくつかの説があるらしい。
その一つが、「おおうまい」という言葉から来たというもの。お母さんのお乳はそんなにうまかっただろうか。ちっとも覚えていない。
別の説に、「お腹いっぱい」が変化してとある。確かに母親のお乳をごくごくを飲んでいた子どもたちを見ていると、お腹いっぱいになれば、泣くこともおさまる。
いずれにしても、「おっぱい」を口に、言葉にですよ。できる年齢はほんのわずかだ。
それは、とっても幸福な時間だ。
みやにしたつやさんのこの絵本は、ズバリ『おっぱい』というタイトルがついている。
成長して「おっぱい」と書けるのは、絵本作家の特典のようなものだ。
お母さんのおっぱいに吸っている赤ちゃんの幸せそうな絵が、表紙だ。
うらやましい。
母乳で育てられたはずだが、こういうことは全然覚えていない。
幸福な時間は記憶に残らない。残念だが。
おっぱいを吸うのは、人間だけではない。
象もねずみもゴリラもぶたもそうだ。
みやにしさんはまず動物たちの授乳の姿を描いて、そのあとにドーンとお母さんのおっぱいを大写しで描く。
りっぱなおっぱいだ。
次のページにはそのおっぱいをじっと見つめる男の子。
ここは女の子ではなく、やはり男の子がいい。
女の子だっておっぱいを吸ったはずだが、ここは男の子。このあたりは微妙なのだけれど。
男の子は、こんなことを思う。
「おおきく、やさしく、つよく、げんきなこにしてくれた ぼくのだいすきなおっぱい」。
これは男の子だから、言える。
大人になってこんなことは言えない。
これも、絵本作家の特典だ。
男の子にはまだ小さい弟がいて、今は弟がお母さんのおっぱいにしがみついている。
それを男の子は「かしてあげ」ていると思っている。
でも、きっとそのおっぱいは永遠に男の子のところには戻ってこないのだ。
「おっぱい」と口にしなくなるように。