おじいちゃん・おばあちゃんを主人公にした話って・・・大概死生観を教えるという形を取るものが多い。
実際、死生観について考えるのも大事よねぇと思いつつ、もっと違ったお話に作れないものなのかなぁと幾分物足りなく感じていた。
まあ、確かに、ジョン・バーニンガムの「おじいちゃん」なんて読んだ日には・・・泣くこと必至の名作なんですが。
でも、あまりにもその印象が強烈だったのか、他の物を読んでも二番煎じのように感じたり。
そこに、W.ハラントの「おじいちゃんだいすき」
ふと手に取って読み、そのまま魅入られてしまった。
読後、とても感動した内容である、かつて課題図書であったというというのにも関わらず、既に絶版であるという事実をも知ってびっくりした。
・・・なぜなんだろう?
おばあさんに先立たれて一人になったおじいさんが、都会の息子夫婦と同居することになり、その一部始終を孫の男の子の視線から描いたもの。
結局おじいさんは、都会の生活に馴染めず、またかつての思い出の家に帰っていくのです。だれが悪いわけでもない。遠慮はあったかもしれないけれど、おじいさんも、息子夫婦も、孫であるぼくだってお互いに思いやりを持って接していた。
本文で繰り返される「おじいちゃんだいすき」という言葉がなくても、十分ぼくのおじいさんにたいする気持ちが伝わってくるのは、そのおじいちゃんとの生活の日々の具体的なエピソードの積み重ねがあるからでしょう。
本文の前と後ろに字のない、絵だけのコマ漫画の様なページがついていて、お話のプロローグとエピローグになっているのも効果的。息子夫婦のところに来るようになった顛末とおじいさんのその後の生活。文章で語るよりも、多くを雄弁に物語るその絵という仕掛けも素晴らしい。
大人向けの短編に描き直せそうだし、映画にもできそうな完成度の高い内容。なにより、お互いの違いを認め、理解し合うというその姿が、絵本においては希有なリアリティがあるように思えて、わたしはとても好きなのです。
強く復刊を望みます。