「……ここはいったいどこだろう?」
ある日、砂漠に風変わりなとりがやってきた。イグアナはジロジロ見上げながら、あなたみたいなとり、これまで見たことないと言う。確かに羽はあるけれど、本人だって自分がとりだなんて思えない。彼はダチョウなのだ。1ミリだって浮いたところを見たことがないと、サバクネズミやアルマジロ、コガネムシもやってきて、ダチョウをからかう。
「今日はとぶのはよしておこう。こんなに暑いとあぶないからな!」
ダチョウはわかっている、自分がうそをついていることを。夜な夜ないくら練習をしても、風を待ってみても、明日になったとしても、どうしたって飛べないのだ。どうして、どうしてなんだ。だけど、ある日。落ち込み疲れ切ったダチョウの頭の中に、新たな考えが生まれきた。それは……。
きょとんとした目、ながい首、りっぱな羽に太い脚。どこを切り取っても強く印象に残るダチョウの姿やまわりの動物たちを表情豊かで魅力的に描き出すのは、イタリアを代表する絵本作家ルチア・スクデーリ。だけど、そのやり取りの中には、軽く読み流すことなんて出来ない、さまざまな気付きやひっかかりが潜んでいる。
ダチョウが苦しいのは、飛べないからじゃない。あるがままの自分を受け入れることができなかったから。それを誰にも言うことが出来なったから。みんなを乗せて、砂漠を最速で駆け出すダチョウの姿を見ながら胸がいっぱいになるのです。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
さばくに やってきたのは ふうがわりな とり。 みんな じろじろ ながめて いう。 「へんてこだね」 「あれでも とりなの?」
イタリアを代表する絵本作家がえがく 表情ゆたかなどうぶつたちが おしえてくれる たいせつなこと。
等身大以上に見せようとする 必要なんてない。 そんなかっこ悪いことは しなくたって大丈夫。 なぜなら、ありのままの自分こそが 最高の自分なのだから。 ーーヤマザキマリ(漫画家・随筆家)
自分はとりだと主張するダチョウを、動物たちは馬鹿にして、飛んでみろとはやしたてます。
みんなが寝ている夜に、飛ぶ練習を繰り返すダチョウが哀れです。
「今日はだめでも明日はきっと飛べるはずだ」
ダチョウの努力が無駄であることを知っている自分たちには、この努力の空しさと、憐れさを知っています。
この絵本は、ダチョウが飛べないことを認めたときに急転回します。
動物たちはダチョウを同じ仲間として認め、ダチョウの得意技を褒め称えるのです。
ダチョウは自分の個性を最大限に誇示することができました。
とても大切なことを語っています。
癖のある絵で、個性的な絵本です。 (ヒラP21さん 70代以上・その他の方 )
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