おじいさんと猫は、ひとつ屋根の下で暮らしています。お互い大切な存在であることがわかっていても、気持ちをあからさまにすることはありませんでした。ねずみ1匹つかまえたことがない猫の好物は、おじいさんの作るポテト・スープ。あたたかいスープを食するひとときが、おじいさんと猫の心のよりどころでした。そんなある日、日課の魚釣りに猫がついて来ようとしませんでした。「猫がいなくてどうだっていうんだ? ただのやせっぽちの猫じゃないか」――。おじいさんは、そのままひとりで湖に出かけました。
湖の一件を通して、いつもいっしょだった関係から片方がいなくなることで、おじいさんも猫も相手の存在を大きく実感することになります。この時間は読者にとってもつらいところ。無言で互いを心配し合う姿がじんと胸に迫り、いっしょでなければ淋しいという現実を思い知らされます。この箇所、無言のいたわりは言葉で伝えるより何倍もの温もりを持ち合わせることをしみじみと示してくれ、思わずほろり。
どちらかといえば物語の展開を味わうというよりも、絵本の中に流れる空気と時間に浸る作品です。おじいさんと猫の会話、しぐさ、表情ひとつひとつにお互いへの信頼が表れ、同時にひとり暮らしの気ままさとさみしさも描かれます。
ひとり暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんのいる小学生向けの絵本でしょうか。わたしは思わず自分の晩年を思い描きました。ちょうどテキサスの農場(ランチ)でひとり暮らしをしているおじさんがいるので、息子はイメージしやすかったんじゃないかな。というのは主人がテキサス州ダラス出身で、うちは親戚一同みな、主人公のおじいさんが暮らしているであろうダラス、フォートワース周辺に住んでいるのです。原書だともっとテキサスの田舎色が出るのですが、たとえば京都弁や東北弁をどういう英語にすればいいのかということと同様に、南部英語をどんな日本語にすればいいのかという難題は永遠に解決されません。翻訳では不可能です。なので静かであたたかい村上色たっぷりの語りで読めることは、作品の本質が十分に伝えられているだけに非常に恵まれたことじゃないかと思いました。テキサスの冬の陽が感じられるイラストも味わい深いです。
ところであとがきに記されているおじいさんの帽子はMLBテキサス・レンジャーズのものではなく、NFLダラス・カウボーイズの帽子です。テキサス騎馬警備隊(テキサス・レンジャーズ)のシンボルがローンスター(ひとつ星)なので、ややこしくなるのですね。