待望の赤ちゃんが産まれて、晴れてお姉ちゃんとなった、主人公の杏。 お母さんとお父さん、それから妹の芽生といっしょにはじめて四人で撮った写真は、みんな笑顔で写ってる! それなのに、芽生が生まれて一ヶ月、お母さんもお父さんも、なんだか様子がおかしい。 深刻になるのは、怖い。 それでも杏は勇気を出して、芽生のことをたずねました。
「芽生、病気なの?」 「芽生は、長く生きられないかもしれない。障がいが出るだろうって、言われたんだ」
ミルクがうまく飲めない芽生の体は、いつまでも細く、小さいまま。 病気にもかかりやすくて、救急車を呼ぶこともしばしばです。 それでも、ほんの少しずつでも芽生にできることが増えていくと、家族みんなで大喜び! 芽生は、懸命に生きている。 それなのに、家族を傷つけるものは、思ったよりもたくさんあって……
鼻に管を通している芽生を見て、なんの気なしに発せられた「かわいそうに」という一言。 長生きできないという前提で話すお医者さんの言葉。 そして、なにより杏を傷つけたのは、心から妹を愛する反面、そんな妹を疎ましく思ったり恥ずかしく感じてしまう、自分自身の心でした。
「迷惑をかけるから、養護学校に通えばいいのに」 「迷惑だなんて思わない。でも、かわいそうだとは思う」 「なりたくて障がい者になった人なんていないもんね」
自分たちの学校に通う障がいを持った児童について、杏の友人たちが交わした言葉です。 彼らの話を聞いて、杏はその意見のどれにも、なにかモヤモヤとした思いを抱きます。
「あたしだって芽生のこと、かわいそうって思うことはある。でも、人に言われたくない。かわいそうなんて思われたくない」
障がいを持って生まれるとはどういうことなのか。 家族でそれを支え、共により良く生きるにはどうすればいいのか。 大人でも答えを出すのはむずかしいそんな問題と、まだ小さな杏は、突然向き合うことになります。 認めたくない自分自身の心の変化や、芽生を見る周りの目にとまどい、傷つきながらも、懸命に答えを探す杏。 そんな杏といっしょになって、「人を思いやる」ということの本当の意味を考えさせてくれる、やさしい一冊です。
ある日、杏は芽生と散歩に出たお母さんのあとを、こっそりつけていきます。 そしてじっと足を止めたまま、19秒もの間、公園に入るのをためらってたたずむ、お母さんの姿を見つけます。 そのあと公園で杏が聞いたのは、芽生に浴びせられた胸の裂けるような悲しいひとことでした。 どうしてお母さんは、わざわざ傷つくとわかっていて公園におもむいたのでしょう?
「よかったね、芽生、ママの子どもに生まれてきて」
そのあまりにもやさしい決意の意味を知ったとき、お母さんが立ち止まったまま過ごした19秒の重みに、心ふるえずにはいられません。
(堀井拓馬 小説家)
あたしの妹、1歳の芽生。 まだ歩けないし、立てないし、ハイハイも、おすわりもできないし。 そういうことができるようになるかもわからない。 だけど、芽生はあたしのそばにいる。 あたしはいつも、芽生のそばにいる。
障害者の生活介護施設で働いているから、このようなテーマは痛烈です。
障がいを持って産まれてきた赤ちゃんと、親はどの様に受けとめて来たのだろう、兄弟姉妹の思いはどうだったんだろう。
私が接しているのは学童であったり、成年だったりするので、幼少期のことは知りません。
でも、家族がいろいろな壁を乗り越えて、今が有るのだと思ったら、杏の家族が、家族として成長していく姿に感動しました。 (ヒラP21さん 60代・パパ )
|