みんなのおばあちゃんとは、ちょっとちがう。 でも、だいすきなぼくのおばあちゃん――。
友達のおばあちゃんたちがどんなに元気に活動していようと、ぼくのおばあちゃんはいつまでもぼくのおばあちゃん、それでも大好きだよ――という、子どもだけが持ち得る限りなく透明な愛と受容の心の世界が、何とやさしく語られていることか! 高齢化社会の今の時代へのみごとな贈り物と言えよう。私は深い感動をおぼえつつ、翻訳しました。――<あとがきより>
お友だちの個性的なおばあちゃんを、短い文章とやわらかい水彩画で紹介し、「でも、ぼくのおばあちゃんは・・・・できないんだ・・」ととっても思わせぶりで、いったいどんなおばあちゃんなのかな・・・と、本当に最初は、楽しい展開を期待して、どきどきするくらい。でも、だんだん静かな少年の語り口調に、「そういうこととは、ちょっと違うんだな」と感じ始め、少年のばあちゃんが登場するシーンからはは、能天気な自分がちょっとはずかしくなるくらい、少年のおばあちゃんに対する、理解と愛情を感じ、ぐっときてしまいました。
みじかくて、静かで、あるがままの表現こそに、少年のおばあちゃんに対する「すきだよ」を感じます。
柳田邦男先生のあとがきを読んで、再度、左ページだけを追ってみると・・・これがまた、言葉での説明はいらないくらい、少年の表情や体の動きがしみじみやさしさとなって伝わってきます。
ことばをつくしても語りきれないことってあるけれど、親や、おばあちゃんが年老いて、たとえば痴呆になっていく姿を見るときの感情もそのひとつかなと・・・と思います。でも、この少年のように、おばあちゃんのそばによりそえたらしあわせだなと思いました。思春期の一人娘も言葉すくなに感じ入って読んでいました。 (はまぼうふうさん 40代・ママ 女の子17歳)
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