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〈お日さん、あったかいねえ〉 〈かあちゃんみたいだねえ〉
2011年の春、絵描きの家の庭にあらわれた たぬきの一家。 産む、育てる、いのちの絆の物語は、やがて別れと旅立ちへ。 小さなからだ全身で「生きる」たぬきたちと、絵描きとの まぼろしのようなおはなし。
著者のことば 「ヒトも動物も木々も草花も、生きるために生まれる。 あるがままの「いのち」を描きたいという思いが、心のそこから湧き起こっていた。 そしてこの本の表紙の絵が生まれた。「生きる」方向を見つめる目、目、目。 そして、現実と幻術との境目がわからないまま、「たぬ記」に綴られた日々を 絵で再現していったら、たぬきが山盛りの絵本が描きあがった。」 いせひでこ(本書、あとがきより)
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この絵本『たぬき』はいまから10年前、東日本大震災の年の春に、画家・絵本作家のいせひでこさんの家の庭に現われた、たぬきの一家のお話です。
3月11日、思ってもみない大地震と、それにともなう原子力発電所の事故がおこりました。いせさんはその日から、地震の記録、原発事故の報道などを小さなノートに記していきました。4月、近所の公園や道路で、たぬきらしき姿を目にするようになりました。5月末、朝、デッキの上のスリッパや靴が動いていました。6月の夜、デッキの人感センサーの明かりに、もそもそ動くたぬきの子と親が浮かび上がりました。6月以降、「地震日記」は〈たぬ記〉と手製ラベルを貼った観察日記になっていきました。
〈たぬ記〉には、鉛筆やボールペンのやわらかな描線で、たぬきたちの行動、成長、変化という、見たことのない日常が描かれていきました。頻発する地震のなかで育っていく子たぬきに、「生きて」「生き抜いて」という祈りにも似た思いが重なっているように思えます。
小さな毛衣(けごろも)だった赤ん坊が、成長するにつれ個性が出てくること、ふわふわ、もふもふとした毛並み、庭の小さな森の緑の深さ、草や花や鳥たち、家族のゆくすえなど、ページをめくっていくたびに、思ってもみない展開になることと思います。東日本大震災の年の、春から夏にかけての、まぼろしのようなお話を、10年をへて、お届けできることになりました。ご覧いただけますと幸いです。 2021年11月 平凡社編集部
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2011年3月から1年余り、庭にくりひろげられた幻燈の記録、とあります。
いせひでこさんが、東日本大震災を機につけていた地震日記が、
自宅の庭に現れたたぬきのスケッチ記録となってしまったのです。
デッキに現れたたぬきを目撃した驚きとともに、
いせさんならではの深い観察眼が、たぬきたちの生態を活写します。
たぬきの両親と子どもたち、そして、長老?
そこで繰り広げられる「生きる」姿。
子育ての姿もありますね。
そして、両親たちの旅立ち、子どもたちの旅立ち。
差し込まれる地震の記録も、刻々と刻まれていきます。
いせさんとたぬきたちとの関係性もほほえましいです。
これらを「幻燈」ととらえた世界観に、宮沢賢治を感じました。 (レイラさん 50代・ママ )
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