1945年8月6日広島市街に原爆投下。建物疎開に出かけたまましげるは二度と帰ってこなかった。おかあさんが見つけだしたしげるの遺体のかたわらには、あの日のまままっ黒に炭化した弁当が。原爆資料館にある弁当箱にひめられた悲しいお話。
食べるものにも困っていた戦時中の広島。
原子爆弾が投下された町に残されていた弁当箱に込められた悲しみが、切々と伝わって来ました。
家族が次々と召集され、残された中学一年生のしげる君は、広島の町で「建物疎開」に徴用されていました。
8月6日の朝、出掛けたまま被爆して帰らなかったしげる君。
「おべんとうも食べずに死んだのか」という叫びがとてもつらかったです。 (ヒラP21さん 50代・その他の方 )
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