話題
日・中・韓平和絵本 へいわって どんなこと?

日・中・韓平和絵本 へいわって どんなこと?(童心社)

テレビで話題!いま、かんがえてみませんか?

  • ためしよみ

TOP500

夏の雨

パパ・60代・埼玉県

  • Line

夏の雨さんの声

606件中 571 〜 580件目最初のページ 前の10件 56 57 58 59 60 ... 次の10件 最後のページ
自信を持っておすすめしたい むかし、むかし、あるところに・・  投稿日:2014/09/21
ちいさなねこ
ちいさなねこ 作: 石井 桃子
絵: 横内 襄

出版社: 福音館書店
 第二次安倍内閣の重要課題に「元気で豊かな地方の創生」が掲げられ、地方創生大臣が誕生しました。
 高齢化、少子化、そして産業の空洞化で地方が疲弊していることは従来からいわれていて、そこにスポットライトをあてたのは適切な判断だろうと思います。。
 どう結果を導き出していくか、石破地方創生大臣の腕のみせどころでしょう。
 街は、地方だけでなく、確実に変化しています。
 昭和30年代の風景を探すのは至難のわざです。
 だから、映画評論家の川本三郎さんは昭和30年代の日本映画は文化資料としても貴重だといっています。
 それと同じことが絵本の世界にもいえます。

 石井桃子さんが文を、横内襄さんが絵を担当しているこの絵本は、昭和38年に「こどものとも」に掲載され、昭和42年に絵本になっています。
 だから、ここで描かれている街や車はその当時のものです。
 おおきなへやからとびだしたちいさなねこのお話ですが、ちいさなねこがとびだした蔵のある街など最近ではみかけなくなりました。
 ちいさなねこは自動車に轢かれそうになるのですが、今ならまちがいなく轢かれています。車の量がちがいます。

 そのあとちいさなねこは大きな犬と出合いますが、これも昭和ならではの風景です。
 今なら首輪でつながれているでしょう。こんな大きな犬が首輪もなく街を歩いていたら、まちがいなくおまわりさんが飛んできます。

 大きな犬に追いかけられて樹にのぼったちいさなねこですが、ちゃんとおかあさんねこが見つけてくれて無事に家に戻ることができました。
 微笑ましい母子ねこのお話ですが、文化資料としての価値が高い作品といえます。
 いまの若いお父さんお母さんの知らない街の風景ですから、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に読んでみるといいですね。
 それこそ、「むかし、むかし、あるところに・・・」の昔話になってしまいそうですが。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい 色彩を持たないオールズバーグと、彼の巡礼の年  投稿日:2014/09/14
ベンの見た夢
ベンの見た夢 作・絵: クリス・ヴァン・オールズバーグ
訳: 村上 春樹

出版社: 河出書房新社
 翻訳者である村上春樹さんに「字が一字もなくてもこの絵本は成立してしまう」とまで言わしめてしまうC.V.オールズバーグの絵本ですが、この作品はモノクローム。
 しかも、ほとんど文字がないので、村上春樹さんのいうことを実践するのに適した一冊です。
 これがなかなかいい。
 昔のモノクロームの映画が見ている感じがします。
 最近の映画はちょっと色が跳ねすぎて、目が疲れます。
 その点、この作品はそうではない。

 この作品で良くわかるのが、動きです。
 とても動きのある絵が続きますから、まるでアニメーションを見る感じで読めます。
 はじめにこの物語の主人公の二人、ベンとマーガレットが自転車をこいでいます。
 最初は野球をしようと思っていた二人ですが、マーガレットが明日の地理のテスト準備で家に帰るというので、ベンもつまらないので家に帰って地理の教科書を広げます。
 ベンの夢がここから始まります。

 絵本というのは、書かれている言葉にこだわらなくてもいいと思っています。
 読んであげる人が自由に言葉を変えてもいいのではないか。
 相手の表情や心に合わせて、言葉を変えていいのではないでしょうか。
 特にこの絵本のようにほとんど文字がない作品は、その自由度が増えます。
 だから、読み聞かせなんかにはとてもいい。

 村上さんが「字が一字もなくてもこの絵本は成立してしまう」といった気持ちがよくわかります。
 字がない分、絵をいっぱい楽しむことができます。隅々まで楽しめます。
 この絵本には最後に絵をいっぱい楽しんだ人にしかわからない仕掛けがあります。私は残念ながらページを逆戻りして、その仕掛けを見つけるはめになりましたが。

 そういえば、村上春樹さんの最近の長編小説といえば『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でしたが、まさかこのオールズバーグの絵本がヒントになったってこと、ないですよね。
 村上春樹さんの小説のファンだったら、翻訳絵本も絶対はずせません。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい 色彩の魔術師の魅力を堪能ください   投稿日:2014/09/07
西風号の遭難
西風号の遭難 作・絵: クリス・ヴァン・オールズバーグ
訳: 村上 春樹

出版社: 河出書房新社
 翻訳者が小説家ということであれば、それがたとえ絵本であれ、小説家は絵本につけられた文章が気にいったのだと思いがちだ。
 そういうこともあるにちがいないが、この絵本に限っていてば、翻訳者の村上春樹はショートストーリー程度の文字数をもった文章が「極端に言ってしまえば、字が一字もなくてもこの絵本は成立してしまう」とまで、「あとがき」に書いている。
 もし、字が一字もなくなれば、翻訳者は必要なのだろうか。
 村上春樹は翻訳者としての自身の存在さえ消えてしまっていいと言っているのに等しい。
 それくらい、村上春樹はC.V.オールズバーグの絵に魅了されたということだ。

 表紙の折り返しにニューヨーク・タイムズの批評が掲載されている。
 その中で、「浮揚するイメージはマグリットのそれに匹敵する」とある。
 マグリットというのは、20世紀を代表するシュルレアリスム画家のルネ・マグリットのことだ。
 空に浮かぶ巨大な岩とか、鳩のからだに青空が浮かびあがる絵とか、誰もが一度はマグリットの作品を目にしたことがあるにちがいない。
 ニューヨーク・タイムズはC.V.オールズバーグの絵がそのマグリットと同じくらいの価値をもっているというのだ。
 たしかにC.V.オールズバーグの絵の巧すぎる絵にはなんともいえない肌ざわりがある。
 落ちつかない色づかいといっていいかもしれない。
 ましてや、この作品では海に浮かぶべきヨットが空に浮かぶのだという。
 そういう空中でのありさまが、巧すぎる絵全体を不安にさせているといっていい。
 そして、その不安感、それは重心のなさともいえる、は現代社会に生きる私たちの心のありようだともいえる。

 村上春樹は「オールズバーグの絵は我々にひとつの風景を示すと同時に、その風景を通じて我々自身の心の扉を内側に向けて押し開いている」と書いている。
 そういう絵がもたらすものに村上春樹が共鳴したとすれば、村上春樹の作品もまた「心の扉が内側に」開くことを目論んではいないだろうか。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい 去りゆく夏にぴったりな一冊  投稿日:2014/08/31
あのひのクジラ
あのひのクジラ 作: ベンジー・デイヴィス
訳: 村上 康成

出版社: ブロンズ新社
 夏が終わっていくのはさみしい。
 来年になったら、また夏が来るのはわかっているのだけれど、去っていく夏は、やっぱりさみしい。
 だから、波の音も、鳥たちの鳴き声も、さみしそうだ。
 そんな季節にぴったりの絵本だ。

 作者のベンジー・デイヴィィスはイギリスの絵本作家。
 これまでも何冊か絵本の絵を描いていたそうですが、文と絵の両方を書いたのは、この絵本が最初だそうです。
 とてもやさしい絵を描く人です。
 とてもやわらかな言葉を紡ぐ人です。
 海の絵もたくさん出てきますが、静かな海、荒れ狂う海、雨の海、それぞれに表情がちがいます。
 そんな海の絵を見ていると、今年の夏に出会った海のことを思い出すのではないでしょうか。
 ちょうど、この絵本の主人公ノイが、嵐で迷子になった子クジラと出会って、別れたあと、思い出すように。

 ノイは海のそばの家でおとうさんと6ぴきのねこと一緒に暮らしています。
 おとうさんはさかなつりの仕事で毎日いそがしく働いています。
 ノイが海辺で迷子の子クジラを見つけた日も、おとうさんは仕事でいませんでした。
 だから、小さなノイはとってもがんばって、子クジラを家に連れて帰ります。
 子クジラといっても、浴槽をいっぱいにしてしまうくらい大きいのです。
 おとうさんにはないしょにしようとしていたのですが、さすがに見つかってしまいます。
 でも、おとうさんはそんなノイを叱りませんでした。
 ノイとおとうさんは黄色いレインコートを着て、子クジラを海に戻そうと、雨の海にボートを漕ぎだします。

 ノイにとって、子クジラと出会ったことも、海に還したことも、思い出になったことでしょう。
 そして、その記憶にはいつもおとうさんの姿があるにちがいありません。
 思い出って、いつも大切な人がそばにいるものかもしれません。
 その大切な人と別れることも、思い出になっていく。
 この絵本にはそんなことは描かれていないのですが、そんなことを考えてしまう一冊といえるでしょう。

 翻訳をしているのは、絵のタッチが似ている絵本作家の村上康成さんです。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい ミステリアスでエニグマティック  投稿日:2014/08/24
名前のない人
名前のない人 作・絵: クリス・ヴァン・オールズバーグ
訳: 村上 春樹

出版社: 河出書房新社
 「どれだけ長く眺めていても飽きるということはない」。
 これはC.V.オールズバーグの絵本についての、村上春樹さんのコメントです。
 そういう絵本にめぐりあった村上さんのおかげで、私たち読者もオールズバーグの独特な色彩の世界を楽しむことができたのですから、本というのは巡りめぐるものだと、つくづく感じます。

 この作品は、村上さんが『西風号の遭難』『急行「北極号」』につづいて翻訳をした作品です。
 「ミステリアスでエニグマティック」な作品だと村上さんは評しています。
 「エニグマティック」というのは、「謎めいた」という意味でしょうか。
 原題は「The Stranger」。
 表紙の黄色い服、デニムのつなぎを着ている男が、その人物です。
 スープをみつめる表情にして、少し「エニグマティック」です。

 ある日、お百姓のベイリーさんが車で事故を起こしてしまいます。
 はねたのが、この男。事故のせいか、ベイリーさんが何をたずねてもわからない様子。
 やがて、元気になった「名前のない人」ですが、どうも普通の人とは違うようです。
 ベイリーさんの農作業を手伝っても汗ひとつかかないのですから。
 しかも、この男のまわりに不思議な現象が起こりだす。
 いつまでも夏が続いて、秋が来ないのです。
 まわりの村や山々は秋の色づきにそまっているのに、ベイリーさんの村だけは、いつまでも夏なのです。
 この男は、いったい何者?
 やがて、男はいなくなります。途端に、ベイリーさんの村にも秋がやってきました。
「 エニグマティック」は、こんな時に使うのでしょうね。

 最後までこの男のことは解き明かされません。
 私たちは秋の装いに包まれたベイリーさんの家をじっと見つめるだけです。
 めぐる季節のことは科学的には説明できます。でも、本当はこの男のように、不思議な自然のなぞなのかもしれないとい うことを、私たちはすっかり忘れてしまっているような気がします。
 「The Stranger」とは、自然そのもののことかもしれません。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい 村上春樹さんはオールズバーグが大好き?  投稿日:2014/08/17
魔法のホウキ
魔法のホウキ 作・絵: クリス・ヴァン・オールズバーグ
訳: 村上 春樹

出版社: 河出書房新社
 村上春樹さんは絵本の翻訳もたくさんしていて、それはそれで春樹研究の一単元になるのではないかというくらい。
 村上さんの絵本の研究がなされたからといって、例えば彼の長編小説の構成のありかたとか文章の成り立ちとかがわかるかといえば、それはどうでしょう。
 むしろ、村上さんは長編小説の合間あいまに絵本の翻訳をしながら、音符で言えば休符記号みたいに、絵本の翻訳を楽しんでしるのではないかと考えているのですが。
 だって、絵本というのは文章が少なくて、翻訳といっても、けっこう短時間にできるのではないでしょうか。あとはゆっくり言葉を丁寧に育てたり、刈り取ったり。

 さらにいえば村上春樹さんにはお気に入りの絵本作家があって、その一人がこの絵本の作者C・V・オールズバーグです。
 オールズバーグの作品は何冊も翻訳しています。
 きっと春樹研究者だったら、そのあたりから、村上文学の特長とかをもっともらしい文章で綴るのでしょうが、私はもちろん春樹研究者でもないので、その理由はわかりません。
 ここからはなんとなくですが、村上さんはオールズバーグの文章もさることながら、彼の絵がお気に入りではないかしらん。
 村上さんといえば、その作品性だけでなく、コンビを組んだ多くの、といっても無条件にその嗜好が広がることはありません、イラストレーターといい関係を築いてきた、日本でも稀有な作家の一人といっていいでしょう。
 まじめな春樹研究家だと、「村上春樹とイラストレーターの親密な関係」ぐらいの論文を書いてしまいそうです。
 その研究をまつまでもなく、村上さんは絵をとても楽しんできた作家といえます。

 オールズバーグの絵の魅力といったら。
 この作品はモノクロームですが、細部に神が宿る、といってもいいくらい、ページの端から端まで神経が行き届いています。
 魔女が主人公の後家(! この言葉をどうして村上さんが使ったのかも謎です。春樹研究者であれば・・・)に置いていった「魔法のホウキ」の、なんと生き生きしていることでしょう。
 まさか村上さんが「魔法のホウキ」を欲しがったということはないと思いますが、これも春樹研究者の今後の研究結果にゆだねたいと思います。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい 海はお母さん  投稿日:2014/08/10
海へさがしに
海へさがしに 作・絵: デブラ・フレイジャー
訳: 井上 荒野

出版社: 福音館書店
 子どもの頃、昭和30年代の終わりですが、近くの海はまだ泳げていました。それがどんどん汚れて、そのうちに遊泳禁止になりました。
 それでも電車に乗って何駅かいけば、浜寺公園という地名に残っているようなまだ泳げる海もありました、大阪湾にも。
今はどうなんでしょうね。
 海が汚れて、そのうちにみんながきれいな海を取り戻そうみたいな気分になったから、きれいになっているのではないでしょうか。

 私は海で泳ぐのが怖くて仕方がありませんでした。
 だって、沖にいけば足が届かないのですよ、海は。
 だから、浪打ぎわで蟹と戯れ派かな。貝殻拾ったり。海藻投げ合ったり。砂の城を作ったり。
 この絵本はそんな子どもの頃の記憶がよみがってくる一冊です。
 さまざまな形の貝殻、青や緑の宝石のようなガラス片、ペリカンのはね、遠い国の木靴、手紙のはいったビン、ヤシの実(そういえば、島崎藤村作詞の「椰子の実」という童謡がありましたね)、ウミガメの頭の骨(これはちょっとこわい)、こんがらがったロープ・・・。
 作者のデブラ・フレイジャーさんはそれらをフロリダの海で集めたそうです。
 海ってなんでも生み出す、お母さんなんです。

 そんな海からの贈り物を少女とお母さんがさがしている様子がスケッチ風に書かれています。
 お母さんは娘に「おおきすぎて いえにもってかえれない」大事なものがあることを教えます。
 それって何かわかりますか。
 おひさまです。水です。波の音です。夜明けの浜辺です。
 それらは、海の贈り物よりもっと大切なものかもしれません。
 当たり前すぎて、忘れてしまうほど。

 貝殻拾いに夢中になりすぎて、海に落ちる夕日が大きいのを見逃していないでしょうか。
 砂の城作りに夢中になって、海の匂いはとってもしょっぱいのを忘れていないでしょうか。
 海はたくさんのことを教えてくれます。
 だから、お母さんなのです。

 日本語訳はまだ直木賞を受賞する前の井上荒野さん。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい 時代という船、家族という船  投稿日:2014/07/27
大きな大きな船
大きな大きな船 作・絵: 長谷川 集平
出版社: ポプラ社
 中島みゆきの「時代」を初めて聴いたのは、いつだったろうか。
 発表されたのが1975年だから、もう40年近くも前のことになる。
 二十歳の青年も還暦を迎える年になった。
 「そんな時代もあったねと/いつか話せる日が来るわ」なんていう歌詞は、あの時よりも今の方が実感としてあるはずなのに、あの時も何故か胸にじーんと響いたものだ。
 長谷川集平の父と息子の、二人だけの生活を描いたこの絵本の中にこんな会話がある。
 「父さん、今の時代を好き?」「好ききらいは言えないのさ、ぼくらは。ぼくらはみんな、大きな大きな船に乗ってるんだ。時代という船にね」
 こういう会話は女性はしないのではないだろうか。現実的でないから。
 この父親の耳の奥に、中島みゆきの「時代」が流れていなかっただろうか。

 父にとっての妻、息子にとっての母である女性はここにはいない。
 「時代」という「大きな大きな船」を降りてしまっている。
 父は母にもなろうとするが、息子は父だけで構わないという。
 そして、仕事で度々家をあけていた父に父の知らない母のことを話す息子。ここにはいない母はよく口笛で吹いていたという歌、「ラ・メール」を聴いて、父は涙をこぼす。
 その時、父は「ラ・メール」だけを聴いていたのではないかもしれない。
 中島みゆきの「時代」が流れていなかっただろうか。
 「今日は別れた恋人たちも/生まれ変わってめぐりあうよ」

 家族というのも、「大きな大きな船」だ。
 父と母で漕ぎ出して、いつか子どもという乗客を乗せる。一人きりかもしれないし、二人め三人めと乗客が増えるかもしれない。
 この絵本の物語のように、誰かは下船してしまうこともある。
 最後にたった一人で航海しないといけないこともあるだろう。
 それを「時代」といってしまえば、家族こそ自分の「時代」の証しともいえる。
 長谷川集平は、この絵本を水彩の青と黄と赤の3色で描いたそうだ。
 もっともシンプルだけど、そこから生まれる色は多彩だ。
 それが家族、それが時代。
 「めぐるめぐるよ時代はめぐる/別れと出会いをくりかえし」。
 中島みゆきの歌が流れている。
参考になりました。 1人

自信を持っておすすめしたい 昭和30年生まれの子供たちのこと  投稿日:2014/07/20
はせがわくんきらいや
はせがわくんきらいや 作・絵: 長谷川 集平
出版社: 復刊ドットコム
 「森永ヒ素ミルク事件」のことを知っている人も覚えている人も少なくなったかもしれません。
 ウィキペディアからの引用になりますが、「森永ヒ素ミルク事件」は「昭和30年6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出した食中毒の事件」とあります
 同年に生まれた私は幸いにして母乳で育ったおかげで無事でした。
 しかし、同年の人に被害にあわれた人がいたし、この事件そのものがごく普段の生活の中にあったことはよく覚えています。

 この絵本の作者長谷川集平さんはこの作品で第三回創作えほん新人賞を受賞(1976年)し、本格的に絵本作家になっていくのですが、それが「森永ヒ素ミルク事件」を題材にしたものとは知らなかったし、長谷川さん自身が、長谷川さんも昭和30年生まれで、このヒ素ミルクを三缶飲んだということも知りませんでした。
 だから、この絵本は衝撃でした。
 事件そのものを思い出したということもありますが、「生まれつきのほそいからだとやはりこのモリナガぬきに今の私は語れません」と「あとがき」に書いた長谷川さんのこともそうだし、何よりも絵本がこういう事件も作品にできるということも衝撃です。

 物語の主人公はせがわくんはおそらく「森永ヒ素ミルク」の被害者となった子どもです。幼稚園の入園の時には乳母車に乗せられてお母さんとやってきます。
 成長がうまくできなかったのです。
 小学生になっても痩せた身体でうまく歩くこともできません。
 そんなはせがわくんを大嫌いといいつつ、めんどうをみる少年の視点でこの絵本は書かれています。
 少年のまっすぐな視線は、何をしてもうまくできないはせがわくんをじっと見ています。森永の粉ミルクを飲ませたはせがわくんのお母さんのことも「わからへん」といいます。
 少年ははせがわくんのお母さんのことを責めているのではありません。
 本当であればはせがわくんだって、元気に遊べる友だちだったはずなのに、それができない。しかも、それは理不尽な事件によって起こったもの。
 少年は「はせがわくんきらいや」といいつつ、はせがわくんを捨てることはありません。
 はせがわくんは少年の生きた時代そのものだからです。
参考になりました。 0人

自信を持っておすすめしたい なわとび、苦手でした  投稿日:2014/07/06
なわとびしましょ
なわとびしましょ 作: 長谷川 義史
出版社: 復刊ドットコム
 この絵本は2008年に発表されたものの復刻版。
 一般書では文庫化で作品が二度本屋さんに並ぶことが多いが、絵本の世界でもこういうようにしてつながっているのですね。
 長谷川義史さんは人気の高い絵本作家ですから、作品化したいと考えている出版社も多いでしょうから、そういうこともあるのかもしれません。
 そんな事情は子どもたちに、もちろん大人にも関係ありません。
 いい本が手軽に入手できればいいと思います。

 この絵本は実にシンプル。
 シンプルといえば、なわとびそのものがシンプルな遊びですよね。
 縄が一本あればなんでもできる。
 この絵本のように端と端をもって、「ペッタン ペッタン」揺れるなわを踏まないようにして跳んで遊ぶというものから、ぐるりのまわしたなわを潜り抜けるもの、あるいは端と端をつなげて電車ごっこというのもありました。
 あるいはひとりでびゅんびゅん跳んで、その回数を競いあったり、二重跳び三重跳びなんていうのもありました。
 小さい頃、運動おんちでしたから、なわとびも苦手でした。
 いつもひっかえるのは、私。
 この絵本を読むながら、そんな苦い記憶がよみがえってきました。
 恥ずかしい。

 長谷川さんのなわとびにはいってくるのは、たけしくん、おじいちゃんのせいぞうさん、おばあちゃんのひでこさん、さかなやさんのまさきちさん、さらにどんどんはいって、おさむらいさんやろくろっくびのお姫さま、さらには宇宙人まで。
 なわの世界が長谷川さんの自由な空間になっていきます。
 長谷川さんの絵本の魅力は大胆は筆づかいの絵。さらには、この絵本のような自由さです。
 長谷川さんのなわとびにはいるのは、自由。
 読みながら、身体が上下に跳ねていく感じがします。
 そういう感じになれば、そこはもう長谷川さんの世界です。

 最後になわをひっかけてしまう人がいます。
 さてさて、それは誰でしょう。
 足元をよーく見ながら読んで下さい。
参考になりました。 0人

606件中 571 〜 580件目最初のページ 前の10件 56 57 58 59 60 ... 次の10件 最後のページ

児童書出版社さん、周年おめでとう! 記念連載

出版社おすすめ


全ページためしよみ
年齢別絵本セット