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自信を持っておすすめしたい やさしい悪魔  投稿日:2014/03/16
あくま
あくま 作: 谷川 俊太郎
絵: 和田 誠

出版社: 教育画劇
 誰も悪魔なんか見たことがないはずなのに、悪魔のことを知っているのはどうしてだろう。
 黒ずくめで、触覚のような角(つの)があって、お尻には矢印記号の尻尾がついていて、というのが、誰もが頭に浮かぶ悪魔像ではないかしらん。
 悪魔は見たことがないはずだが、悪魔に会ったことがある人はいるだろう。
 「あの人は悪魔だ」なんて、よく口にする。
 つまり、悪魔を見たことがないが、悪魔には会っているんだ、私たちは。
 でも、会った悪魔は、きっと普通の人間の姿をしているんだろうな。

 谷川俊太郎さんが文を書いて、和田誠さんが絵を描いた、この絵本に登場する「あくま」は黒い定番衣装ではない。
深いオレンジ色の「あくま」だ。
 しかも、緑色のつばさまでついている。
 主人公の少年が「あくま」に会ったのは、「むかしばなしのなかのみち」だという設定がいい。
 確かに「「むかしばなしのなかのみち」だと、「あくま」に会う確率は高いだろう。
 まして、絵本だから、現実の世界でも悪魔に会うことがあるなんていえない。

 少年がまず会うのは「まじょ」だ。
 そういえば、魔女も見たことがないはずだ。
 けれど、悪魔と同じように黒ずくめで、定番の三角の帽子、さらにホウキを持っているというのが、魔女の姿。
 見たことはないのに。
 でも、悪魔と同様、魔女にも会った人はいる。
 最近では「美魔女」なんていう人もいる。
 この絵本では定番型の魔女が登場する。
 「ともだちになりたい」って。
 少年はこれを断って、魔女を退治しようとするのだが、「まじよ」は強い。
 そこに現れるのが、「あくま」だ。

 「まじょ」を倒した「あくま」は、少年に「ともだちになりたい」という。
 少年はそれも断って、「むかしばなしのなかのみち」から抜け出すのだが、あとで思う。
 「あくまとともだちにならなくて そんしたんじゃないか」って。
 どうかな。
 もう少ししたら、悪魔と会えるんだから。
 でも、くれぐれもいっておくけれど、本当に会う悪魔は怖いんだよ。
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自信を持っておすすめしたい 私、むかしのこどもです  投稿日:2014/03/09
むかしのこども
むかしのこども 作・絵: 五味 太郎
出版社: ブロンズ新社
 絵本作家五味太郎さんの功績は大きい。
 私の娘たちがまだ小さかった頃、もう30年近くになりますが、五味さんの絵本でどんなに楽しませてもらったことか。
 独特な絵のタッチ、勢いのある言葉、それはもう子どもそのもの。
 生きる強さのある絵本です。
 だから、五味さんの絵本は懐かしいし、今でも大好き。
 私にとって、五味太郎さんは欠かせない絵本作家です。

 この絵本のタイトルがいい。
 「むかしのこども」って、いつのこども?
 読んでいる子どもたちにとっての、お父さんやお母さんが子どもだった頃。
 今の子どものお父さんとかお母さんは、昭和という時代の終わりのあたりの子どもでしょうが、この絵本の「むかしのこども」はおそらく昭和30年代とか40年代あたりではないでしょうか。
 ちなみに、五味太郎さんは昭和20年(1945年)生まれです。

 「むかしのこども」はよく「ぐずぐずしないで」といわれました、とあります。
 それは、「むかしの暮らし」がいそがしかったから。
 そういわれれば、そうかもしれません。
 洗濯機とか車とか便利なものが普通の家庭にもはいってきた頃ですが、逆に背中を押されるようにいそがしくなったのはどうしてでしょう。
 人は便利さを発明しながら、ちっともゆったりとしない、変な生き物です。

 「むかしのこども」には「むかしの大人」はとってもしっかりしているように見えました。
 でも、この絵本を読んで少しわかったのですが、「むかしの大人」は「こどもは小さいしぼんやりしているから、ま、適当でいいだろう」と、考えていたからかもしれません。
 今の大人はとってもいい大人で、子どもにもきちんと話をしてくれます。難しい言葉でいえば、子どもの人格を認めてくれています。
 そのせいで、いまの大人はあまりしっかりしているように見えないのかもしれません。
 おかしいけれど。

 いまの子どもも何年か経てば「むかしのこども」になります。
 その時に、そういえばあの時はこんな時代だったと思い出すのは、あなた(読者)自身。
 五味さんのこの絵本のように、「そんなむかしでも精いっぱい、元気に楽しく暮らしていました」と書けるでしょうか。
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自信を持っておすすめしたい 本は友だち  投稿日:2014/02/23
ほんちゃん
ほんちゃん 作・絵: スギヤマ カナヨ
出版社: 偕成社
 これは「ほんのくにに すんでいる、ほんのこども」のお話。
 まだ子どもですから、中身はまっ白。
 将来どんな本になろうか、迷っている最中です。
 お父さんとお母さんは図書館にいます。お母さんは「ほんちゃん」に「りっぱなずかんに なりなさい」と薦めているようです。
 お兄さんたちは「りっぱなずかん」になって、本が好きな子どもの本棚に住んでいます。
 「ほんちゃん」の希望は、音がなったり画面が変わったりする「かっこいいほん」。
 でも、お母さんはそんな「ほんちゃん」のことを叱ります。
 さて、「ほんちゃん」はどんな本になるのかな。

 この絵本の中には、さまざまな本が出てきます。
 例えば、赤ちゃん用の絵本。よだれのあとや齧られたあとがいっぱいついている絵本。
 「ほんちゃん」はそんな絵本を見て大変だなと思うけど、「それが赤ちゃんに気に入られたしるし」と喜んでいます。
 年をとっているのは、りっぱな辞典じいさん。ほとんど使われることはないけど、それでも調べ物をされたりするとうれしい。
 有名な物語の本は親子三代にわたって読み継がれてきたことが自慢。
 ある日、やってきた古い絵本は、昔人間のお母さんが読んだことのある絵本だって。今、お母さんの小さな娘さんが喜んで読んでいる。

 本は誰ともでもつながる友だち。
 小さい頃のおもちゃがそうだったように、本も子どもの頃からずっと一緒だった友だちなんだ。
 たぶん、誰もが思い当たるはず、そんな友だちの顔が。
 この絵本を読んだ子どもたちが、本当の友だちとなる本を見つけられたらいいなあ。
 もちろん、この絵本もその候補。

 「ほんちゃん」は本屋さんの棚の中でそんな出会いを待っています。
 けれど、「ほんちゃん」の夢だった、音がなったり画面が変わったりする「かっこいいほん」は、今や電子書籍になって実現しましたね。
 もしかしたら、「ほんちゃん」は電子書籍になりたかったのでしょうか。
 いいえ、お父さんやお母さん、お兄さんたちのように人間のやさしい手でページをめくってもらえる、紙の本だったのではないでしょうか。
 だって、やっぱり友だちって、あったかいものだから。
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自信を持っておすすめしたい こんな親子を見かけたら  投稿日:2014/02/17
ことばであそぼう五七五
ことばであそぼう五七五 作: 内田 麟太郎
絵: 喜湯本 のづみ

出版社: WAVE出版
 この絵本は題名に「五七五」とありますが、「俳句」の絵本ではありません。
 「リズム」の本です。
 「俳句」では「五七五」が基本です。短歌はもう少し長くて、「五七五七七」。
 これも、「リズム」です。
 どうも、日本人にはこの「五七五」や「五七五七七」という「リズム」があっているようです。
 暮らしのさまざまな場面で使われています。

 さらにこの絵本では「だじゃれ」の言葉遊びや季節感といったものを描かれています。
 最初に出てくるのは、「たかげたで/げたげたげたと/タカわらい」という言葉。
 絵は、初夢のシンボル、富士山と鷹(もちろん、この鷹は高下駄をはいています)が描かれています。
 内田麟太郎さんのひねった言葉(きっと内田さんは、首もひねったと思います)も面白いですが、喜湯本のづみさんの 絵もユニークで楽しめます。
 私が一番笑ったのは、「はるさめや/サメさめざめと/まちぼうけ」についている絵。
 大きな柳の下で、薔薇の花束をもった鮫が黒い傘をさして涙を流しているところ。これが、実に、鮫なのです。
 もしかしたら、言葉遊び以上に、その言葉に合わせた絵を描くセンスも学べるかもしれません。

 こういう言葉で遊ぶことから、「リズム」に親しむというのは大事なことです。
 子どもたちもスマホでメールをする時代。絵文字ばかりではつまらない。自分の言葉で何を伝えるかです。
 コミュニケーションの時代と言われながら、それをよくする方策がなかなか見つけられないのが現実。
 子どもだけではなく、大人も「五七五」を使った言葉遊びが必要です。

 指を折りながら、口で中でぶつぶつ言っている親子を見かけたら、変な親子だと思わずに、ははん、あの絵本を読んだんだなぁ、言葉の「リズム」を楽しんでいるのだなぁと、やさしく見守ってあげて下さい。
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自信を持っておすすめしたい 夢の世界の図書館  投稿日:2014/02/09
よるのとしょかん
よるのとしょかん 作: カズノ・コハラ
訳: 石津 ちひろ

出版社: 光村教育図書
 図書館には毎週行きます。
 昭和30年代とか40年代は今のように図書館もきれいで明るいところではありませんでした。住んでいた地域にもよりますが、あまり多くもなかったと思います。
 今は公共図書館も充実しています。私の家からは歩いていける距離に二か所、電車で一駅のところに一か所ととても便利です。そもそもそういうところをねらったのですが。
 閉館の時間も遅いところでは夜の9時までというところもあって、会社帰りに立ち寄ることもできます。
 でも、さすがにコンビニのように深夜まで開いている図書館はないのでは。

 ところが、あったのです。「よるのとしょかん」が。
 この図書館の開館時間は「まよなかからよあけまで」なんですから、すごい。
 そこで働いているのは、カリーナというおさげがとってもかわいらしい女の子と三羽のふくろうたち。
 どんな人が利用するのかだって?
 たくさんの動物たちです。
 ここでのルールも私たちがよく知っている図書館と同じ。
 大きな音で楽器の演奏なんてできません。
 演奏前の曲探しに図書館にやってきたリスたちが案内されたのはプレイルーム。ここならどんな大きな音をたてても大丈夫。いいですね、こういう部屋があって。
 悲しいお話に大粒の涙を流しているおおかみは、よみきかせコーナーでじっくりと大きな耳を傾けます。
 もちろん、「よるのとしょかん」では貸出もしています。
 のろまのかめさんも、このサービスにご満悦。

 朝になる前にカリーナたちは屋根裏でいってしまいます。
 残念ですが、そういうわけで私たちはカリーナたちに会うことはありません。
 もしかすると、「よるのとしょかん」をのぞくことはできるのでしょうか。
 それも残念ながら、できないのです。
 だって、「よるのとしょかん」が開いている時間は、私たちは夢を見ているから。

 作者のカズノ・コハラさんの絵はリノリウム版画で描かれているそうです。
 あったかくて、かわいくて、「よるのとしょかん」こそ夢の世界の図書館かもしれません。
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自信を持っておすすめしたい 酒井駒子さんの描くうさぎが好き  投稿日:2014/02/02
しろうさぎとりんごの木
しろうさぎとりんごの木 作: 石井 睦美
絵: 酒井 駒子

出版社: 文溪堂
 ずっと昔、聞いたことがあります。
 「幼い子どもからは一生分のしあわせをもらっている。だから、その先、どんな悲しいことや苦しいことがあっても許さないといけない」って。
 そうかもしれない。
 子どもが生まれ、まだ歩くことも話すこともできない頃のかわいさ。
 パパって叫びながら抱きついてくるあたたかさ。
 ほっぺのやわらかさ。はえかけの歯の白さ。
 そんなこんなのしあわせをあの何年間でもらったのだなあ。
 それは一生分のしあわせなんだなあ。
 石井睦美さん文、酒井駒子さん絵による、この絵本を読んで、そんなしあわせを思い出しています。

 森の中の小さな家で生まれたしろうさぎは、まだ秋を知りません。
 春にうまれたばかりだからです。
 だから、玄関の脇にあるりんごの木が赤い実をつけたのを見たことがありません。
 ある日、おかあさんの作ったりんごジャムのおいしさにたまらず、りんごの木をかじればきっとおいしいはずだと思ってしまいます。
 そして、それをためしてみようと。
 そんな朝を楽しむ夜のしろうさぎの様子や、家を出るときのおかあさんとの会話のかわいらしさといったらどうでしょう。
 おかあさんに「どこにいくの?」ときかれて、「ほんとのことと うそっこのこと。おかあさんはどっちがききたい?」なんて、子どもと過ごすたくさんの時間をもったおかあさんならではの特権のような会話です。

 りんごの木にかじりついて、泣き出すしろうさぎ。びっくりして外にでてきたおかあさんといっしょに見つけた、「まだあおい ちいさなりんごの実」。
 そして、おかあさんがあかいクレヨンで描いてくれた、大きくて真赤なりんご。

 しろうさぎとの会話。しろうさぎの表情やしぐさ。
 そういえば、こういうしあわせな時間を子どもたちはくれたんだ。
 いや、こんなしあわせな時間を今も過ごしている若いおとうさんやおかあさんがいるんだ。
 そう思うだけで、しあわせになりそうです。
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自信を持っておすすめしたい ゆきは好きだと、ちいさな声で  投稿日:2014/01/26
ゆき
ゆき 作・絵: ユリ・シュルヴィッツ
訳: さくま ゆみこ

出版社: あすなろ書房
 ゆきは嫌いではありません。
 北国の、ゆきの深い地方の人たちの苦労を思うと、大好きともいえません。
 お年寄りが屋根の雪下ろしをしている光景をニュースでよく見ますが、なんと大変なことかと思います。
 季節に一度や二度ではありません。本当に大変です。
 それに残念なことにそんな町には若い人も少なくなっています。
 おじいさんとおばあさんだけで、あれだけの重労働をしているのですから。
 ゆきは、そんな苦労も積もらせるのです。
 ゆきはまっ白で幻想的で、静かで、やわらかくて、いいものですが、北国に住む人たちの厳しい生活も忘れてはいけません。

 それでも、ゆきがもっている、心をざわざわさせる気分は好きです。
 いまにもゆきが降りだしそうな灰色の空。
 そして、ひとつ、またひとつ降ってくる、舞い落ちるという表現の方がふさわしいかもしれません。
 それをみているだけで、外にでてみたくなります。
 ちょうど、この絵本の中の「いぬを つれた おとこのこ」のように。
 でも、ラジオもテレビも「ゆきは ふらないでしょう」といっています。
 そのあとの、文がふるっています。
 「けれども ゆきは、ラジオを ききません」「それに ゆきは、テレビもみません」
 だから、どんどん降ってくるのです。
 町がまっ白になるくらい。

 なんといっても、この絵本の絵が素敵だ。
 作者はユリ・シュルヴィッツというポーランドの絵本作家。
 絵に質感があって、コミカルは表現もあるが下品ではない。こういう絵は心にやさしくしみてくる。
 ゆきがもっている高揚感が見事に伝わってくる。
 ページいっぱいにちりばめられたゆきをみていると、やっぱり、ゆきはいいなと思ってしまう。
 雪の多い北國の人のことも思いつつ。
 ちいさな声で。
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自信を持っておすすめしたい 寒い日に読むあったか絵本  投稿日:2014/01/19
14ひきのさむいふゆ
14ひきのさむいふゆ 作・絵: いわむら かずお
出版社: 童心社
 いまが一番寒さの厳しい季節。
 富安風生という俳人が詠んだ句に「大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり」というのがあって、なるほどうまいことをいうと感心しました。
 朝、ぐんと冷えた道を歩いて会社や学校に向かう時などは、まさにこんな気分ではないでしょうか。
 都会ではめったにありませんが、北の雪国では寒さ以上に雪の道を行くこともあって、その大変さに頭がさがります。
 いわむらかずおさんの人気シリーズ「14ひき」のこの巻、『14ひきのさむいふゆ』もねずみたちの住む森をまう雪の場面から始まっています。
 かれらの家も半分以上雪でおおわれています。
 でも、窓からなんだか暖かそうな明かりがもれています。

 14ひきの家族たちの家の中はストーブがあってとてもあたたかいのです。いわむらさんは家の中をとってもあたたかない色で描いています。
 雪に閉じ込められて退屈しているかと思いきや、なんだかねずみたちはとっても忙しそうです。
 おじいさんはのこぎりを使って何を作っているのでしょう。
 おとうさんはハサミで工作をしています。
 おばあさんが手でまるめているのは、おいしそうなおまんじゅうです。
 ほっかほっかにふくらんだおまんじゅうを食べながら、おとうさんがこしらえたゲームに夢中になる14ひきたち。
寒さもわすれるくらい、あったかい家です。

 そうこうしているうちに雪もやんで、ねずみたちは外にでます。おじいさんが作ったそりをひっぱって。ここからいわむらさんは白を基調にした明るい絵を描きます。
 そりあそびに夢中になるねずみたち。すると、たちまち「せなか ほかほか、はなのさき つんつん」。
 この「はなのさき つんつん」という表現のうまいこと。
 実際に寒さが厳しい時に、鼻の先を触ると、そこはとても冷たくて「つんつん」していることがあります。
 いわむらさんの「14ひき」シリーズの人気が高いのは、そういうきちんとした言葉の使い方にも理由があるように思うのです。
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自信を持っておすすめしたい 午年に読みたい一冊  投稿日:2014/01/12
スーホの白い馬
スーホの白い馬 作: 大塚 勇三
絵: 赤羽 末吉

出版社: 福音館書店
 午(うま)年なので、せっかくだから、馬の絵本を読もうと思いました。
 その時、すぅっと目に飛び込んできたのが、この『スーホの白い馬』でした。
 奥付を見ると「1967年10月」発行とあります。もう50年近く前の絵本です。
 それが何度もなんども読み返され、読み継がれているのですから、驚きです。
 しかも、この物語はモンゴルの民話を組み立て直した作品で、文も絵も日本人によるものです。
 なのに、こうして読み継がれてきたのは何故でしょう。

 この物語はモンゴルの楽器馬頭琴(ばとうきん)がどうして誕生したのかを伝える昔からのお話です。
 モンゴルの草原を生きる少年スーホと彼の白い馬の悲しい物語が読むものの胸を打つといえます。
 実際に馬頭琴がどのような調べを奏でるのかはわかりませんが、モンゴルの草原に吹く風の音、馬たちのひづめの音、
草原を駆ける馬たちの息の音などが相俟って、どのページからも音楽が聞こえるかのようです。
 絵本は文と絵だけでできあがっていますが、この作品には音が常に流れています。
 それが物語に深みを与えているといっていいでしょう。

 スーホはある日草原で迷っていた小さな白い馬を助けます。
 月日が経ち、りっぱに成長した白い馬とともにスーホは殿さま主催の競馬の大会に出ることになりました。
 そこで勝てば殿さまの娘と結婚できるというのです。
 競馬が始まって、一斉に馬たちが駆け出します。先頭は、スーホの白い馬です。
 競技に勝つものの殿さまは約束を守らず、スーホに乱暴さえ働きます。
 白い馬は殿さまの兵士たちを振り切って、草原のスーホのもとに戻っていきます。けれど、白い馬のからだには無数の矢が突き刺さっていました。
 死を目前にした白い馬は自分のからだで楽器を作るようにスーホに願います。
 「そうすれば、わたしはいつまでも。あなたのそばにいられます。あなたを、なぐさめてあげられます」。

 この絵本のもう一つの魅力は、馬と人間の交流です。
 太古の時代から馬は人間にやさしく寄り添ってきたのではないでしょうか。
 馬の大きくてやさしい目をみると、なんだか守られている気持ちになります。
 そんなことが、この絵本にはきちんと表現されています。
 午年なのですから、せめてこの絵本を読んで、馬のことを思ってみるのもわるくありません。
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自信を持っておすすめしたい もぐら年があってもいいんじゃないか  投稿日:2014/01/05
十二支のはじまり
十二支のはじまり 作: 岩崎 京子
絵: 二俣 英五郎

出版社: 教育画劇
 「トムとジェリー」はアメリカの1950年代のアニメだが、今でも人気が高い。
 いつもネズミのジェリーに騙されているばかりの猫のトム、そんな二匹によるドタバタ劇だが、猫とネズミの関係はどうも古今東西同じらしい。
 その訳は、どうもうんと昔、神様がその年の代表を動物たちの中から決めると発表したところかららしい。
 ネズミは猫にその集合日を騙して教えて、干支、つまり12匹の動物、から猫がはずされたということで、それ以来猫はネズミを追い回しているのだという。
 もし干支に猫がはいっていたら、人気アニメ「トムとジェリー」は誕生しなかったのだ。

 干支は日本人にとっては欠かせない。
 誕生年を聞く際にも、それだと干支は何何だねと必ずくっつける。同じ干支でも一回り違うんだ(つまり、それだけ年上あるいは若い)というぐらいに、日常的にもよく使う。
 十二支の最初はネズミ。でも、どうしてネズミなの、って誰もが思う。もっと大きくて強そうな動物がいるのに、どうしてネズミから始まるの?
 どうしていのししが最後なの?
 子どもなら一度は考える疑問。
 そんな疑問に答える昔話を絵本にしたのが、この絵本。
 正月ならではの絵本だ。

 今年(2014年)は午(うま)年だが、ネズミから始まる干支の7番めに馬がはいって、そのあとに羊が来るのか、この絵本ではどちらかというとすっとスルーされている。
 足の速い馬なら、もっと上位をねらえたはず。せめてへびよりは神様の門に早く到着したのではないか。
 誰もがそう思うだろうが、これは昔話だから、そう真剣にいっても埒がない。
 ここはひとつ大人の対処で、馬はなんとか7番めと覚えておこう。
 一番最初にこの話を考えた人も、たぶんはそうして干支に猫がはいっていないのかという疑問から始まったのだろうから、足の速い馬であっても、7番めにするもっともな理由は考える必要はなかったのだろう。

 干支から選のもれた動物は猫以外にもいる。
 有名? なところでは狐とタヌキ。蛙なんかもはいっていてもよさそうだ。
 どこかの政党が影の大臣を選んだように、影の干支があっても面白いかも。
 「何年?」「今年の干支の、もぐら。年男なんだ」、なんて。
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